北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第232回 北京・紅燈幻影《胭脂胡同》

胭脂胡同(YanzhiHutong/イエンヂフートン)。



当日は、珠市口西大街沿いの南口から入ってみました。
写真左手前は緑地帯、右手は駐車場になっています。

南口の東側には晩清の絵師、沈蓉圃「同光十三絶」をもとにして作られたレリーフが飾られていました。

中国の伝統劇に詳しい方はご存知だと思うのですが、「同光十三絶」とは、清の同治年間(1862-1874)、光緒年間(1875-1908)の著名な京劇役者十三人のこと。そこまでは知っていたのですが、それぞれの名前までは知らなかったので、今回、調べてみまた。


前列左から、張勝奎、劉趕三、程長庚、時小福、盧勝奎、譚鑫培。
後列左から、郝蘭田、梅巧玲、余紫雲、徐小春、楊鳴玉、朱蓮芬、楊月楼。


と、名前を書き出してみたものの、レリーフがよく見えませんよね。


晩清の絵師、沈蓉圃作


南口に飾られた役者のレリーフは、かつてこの界隈一帯が京劇にゆかりの深い地であったことを示しています。


たとえば、一例を挙げれば、すぐ近くの百順胡同(BaishunHutong/バイシュンフートン)
には、上のレリーフに名を連ねる程長庚(Cheng  chang geng/チョン チャンゴン)が暮ら
していたし、他に陳徳霖(Chen delin/チェン ドーリン)、俞菊笙(Yu jusheng/ユィ ジゥシ
ョン)、俞振庭( Yu zhenting/ユィ ヂェンティン)などの故居もあり、まさにこの界隈一帯
は京劇のメッカと言ってもよいかもしれません。



大きな春聯が綺麗に貼られています。


こちらは西側のお宅で、胭脂胡同9号。西側には9、7、5号と奇数番号が並んでいます。東側は偶数。


謎のファイブスターも。



上のお宅は東側で4号院。壁沿いには「脸譜lianpu/リエンプ」が貼られていました。
ちなみに、「脸譜lianpu/リエンプ」とは、歌舞伎の隈取りのようなもの。



向かい側の外壁にも。


ところで、この胡同は「同光十三絶」のレリーフなどが飾られていることを除くと、何の変哲もない一見ごく普通の胡同だったというのが歩いてみた時の実感でした。


しかし、わたしが目にした記事の中には、新中国成立前のこの胡同には十数軒の一等
妓院(清吟小班)があったというものもあり、だとすればこの胡同の風景は一変してしま
います。



たとえば、記事の中には、先にご覧いただいた「同光十三絶」のレリーフが飾られた
壁のすぐ前の駐車場は、昔の一等妓院の跡地で、その妓院は俗称で“姑娘楼”(グーニャ
ンロウ)と呼ばれていたというものもありました。


たとえ過ぎし日のこととは言え、また、昔なら有りがちなことだと思うものの、この“姑娘楼”にまつわる話が、なんとも哀切きわまりない。



どうやらこの一等妓院は妓女養成所を兼ねていたようで、貧しい家から安く買い入れた娘達に様ざまな芸を仕込み、その後、この界隈の各妓院に高値で売っていたそうです。

しかも、記事の中には、この胡同南口近辺にはかつて看板の出ていない「白面房」、すなわちヘロイン吸飲所などもあった、というものもあり、往時、この胡同がある種の危うさを秘めていたことがわかります。



上の写真に写っている建物の前を通り過ぎると、東側に胡同。
名前は、東壁营胡同(DongbiyingHutong/ドンビーインフートン)。

写真に写っている出入口の左側にある建物辺りから一本北側にある百順胡同にかけて、明の時代には「蘇家大院」(民国期には「蒔花館」)という一等妓院があったそうです。
回を改めて紹介させていただく予定です。


さて、東側の通りが東壁营胡同ならば、西側の通りの名前は西壁营胡同(XibiyingHutong/シーインビーフートン)。

やはり、回を改めて歩いてみたい。


北方向へ直進です。
写真正面奥を横切っているのは、先ほど名前を挙げた百順胡同。


東側。

西側。


あと少しで胡同北口に到着。



二階建ての住宅がありました。





こちらは胭脂胡同1号院。



1号院の壁沿いをたどって行くと、消火栓。
ここ数年の間にこの消火栓をよく見かけるようになりました。


さて、消火栓の周りをよく見ると石段が。



どうやらここは、もと出入口であったようで、その痕跡がほんのり残っています。



胭脂とは「ルージュ、紅(べに)」のこと。
胡同内に「胭脂粉」を製造販売していた店舗があった。この胡同の名前の由来だと言われています。なお、「胭脂」と言う言葉は、妓院を表わすこともあるそうです。


胭脂胡同北口から南方向を撮影。


ちなみに、徐珂(1869-1928)の『清稗類鈔』には、旧北京における煙花の巷として人々に広く知られる、いわゆる“八大胡同”の中の一本としてその名が挙げられており、そのことは取りも直さず、昔、夜な夜なこの胡同に多くの遊客が訪れていたことを物語っています。しばらくの間、紅灯探訪が続きます。よろしければお付き合いください。


《お知らせ》
   6月中旬、旧ブログに突然アクセスできなくなり、当然記事更新も不可能に。
   
つきましては、とりあえず新しいブログ『北京・胡同窯変』(ムラゴン ブ ログ)を急遽始めましたので、旧ブログ同様、これからもよろくお願い致します。
   
    また、旧ブログを読んでくださっていた皆様や、旧ブログにおきまして読者登録してくださっていた方たち、読書登録せていただいていた方たちに深くお詫び申し上げる次第です。皆様に再びきっとお目にかかることのできる日の来ることを信じて今後もブログを続行してまいりますので、当ブログを見つけ、以前同様遊びに来てくださったならば光栄です。言葉足らずとなりましたが《お知らせ》とさせていただきます。


《追記》当初、新ブログ名を「北京・胡同散歩」といたしましたが、やはり旧名『北京・胡同窯変』を残すことにいたしましたことを報告させていただきます。本年6月26日記す。


旧「北京·胡同窯変」
https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

×

非ログインユーザーとして返信する