北京·胡同窯変

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第251回《寄り道編》目黒川沿いの桜

(今回は予定を变更して目黒川の桜をご覧いただきます。)


2020年2月上旬から21年10月上旬まで東京に滞在した。その間にマスク着用、手洗いがすっかり身に付いた。


でも残念ながら習慣化しなかったこともあった。不要不急の外出を控えることがそれだ。
湯島天神の梅は咲いたかなぁ、、、とか、小石川植物園の椿が観たいなぁ、、、とか、そんな不埒なことを考えてる御時勢じゃないんだよね、今は。


テレビニュースに目黒川沿いの桜が映し出されていた。こういう御時勢だから花見は控えるのが人として“正しい、あるべき姿”なんだよな、と思いながら、こういう御時勢だからこそ元気を注入するために花見でしょ、と、大きな声では言えないけれど、目を輝かせながら電車やバスを乗り継いで花見に出掛けてしまった。2021年3月26日のことだ。



桜、サクラ、さくら



立看板
「花見はお控えください」



橋の名前がいいよね。


人並み沿いの桜もいいよね。


今から約100年前の1923年(大正12年)9月、大震災があったわけだけど、震災後「この際だから」という言葉が流行ったそうだ。


使い方はいろいろあったようだけど、たとえばこんな感じ。


「私共では此際、従来の日常の生活状熊は、衣の事、食の事、住の事、すべてに涉って十分の一位迄には縮小し得らるるといふ事を実験いたしました。」


実験の結果は次の如し。


「例へば着物は、家に居る時身に付けるものが一枚、外出着が一枚、これで結構でございます。これは、従来、幾十枚もの着換を用意されていた方達ならば、十分の一はおろか、二十分三十分の一にも縮め得られる事でございます。」(「婦人倶楽部」大正12·11)


当時の富裕家庭の女性相手の記事内容じゃないかなと思われるけど、つまり、こういうご時勢だから“贅沢”はつつしみましょう、不要なものがないかどうか、身のまわりを見直してみましょうと言っているわけかな?


「この際だから」はヘアースタイルにも及んでいる。


「先ごろの災害から私は是非とも従来の如き無事太平の時のみによろこばれる様な浮薄な髮形から脱して、如何に激しい活動をしても容易にこはれず然も簡単上品なものを皆様がお結ひになる事をおすすめ申したいと存じまして考案致しましたのがこの写真にある新東京巻でございます。」(同上)


残念ながら写真はなし。
新東京巻、見たかったなぁ。


「この際だから」という言葉は今でも使える便利な言葉。便利だから恐い面もある。
現代の生活の中で「この際だから」はどんな形でその姿を現すことやら。


別所橋




桜、川、橋、いいよね。



花見はお控えください。
控えていたのは立て看板だけだった。

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