北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第286回 胡同回憶・三源胡同(その1) 改訂版

三源胡同(Sanyuan Hutong/サンユェン フートン)



当日は以前ご覧いただいた南八宝胡同沿いの西出入り口より歩いてみました。
地図以外はすべて2018年7月2日撮影。地図は2023年1月撮影。


※当記事は以前に発表したものの改訂版になっています。



赤色矢印は、南八宝胡同沿いにある三源胡同西出入り口。
青色点線は、三源胡同。






おもしろそうな路地がありました。



窄巷客桟(ヂャイシァン クーヂァン)


窄巷(ヂャイシャン)は、狭い路地。
客桟(クーヂャン)は、旅館。


狭い路地に赤提灯・・・
これはおじゃましてみるしか選択肢はありません。



赤提灯がいいのよ。



ひょっとして、辺りが暗くなると提灯に明かりが点り、
幻想的な風情あふれる路地風景が現出するのかな。
想像しただけで頭がくらくらしてしまいます。



赤提灯には黒字で「窄巷福院」と書かれています。



「窄巷福院」は旅館の名前。
いよいよ出入り口に到着。




けっこう雰囲気のある造りの出入り口。


乞うご期待。



只今、絶賛お昼寝中!!

すやぁぁ・・・
夏の北京の昼下がり、暑さで睡眠不足のお疲れモード。お疲れサマー。


声をかけて起こしてしまうのもなんなので、
今回は旅館見学はあきらめ、このまま引き返すことに。


エコノミカルな宿泊施設といった感じで、けっこう楽しい造りの宿泊施設なのではないか、そんな感触がありましたよ。ゆるーい紹介でご無礼いたしました。


まあ、それはそうとして、胡同ファンとしては赤提灯の並ぶ狭い路地に遭遇できた、そういう路地を歩けた、もうそれだけで高級ウナギの蒲焼かなんかをペロリっとやっつけた満足感が全身をフル回転ですよね。



さて、このへんでこの胡同の名称などについて簡単に触れておきたいと思います。


今回、古都北京デジタルマップ所蔵、清の乾隆15年(1750)頃に描かれた『乾隆京城全図』を通して、次の三つのことを知ることが出来たのは大きな収穫でした。(地図をここに挙げればよいのですが、都合により地図は省略です)


一つ目、現在「三源胡同」と呼ばれる胡同と同一箇所を乾隆京城全図で見ると、その名称の由来となったと思われる「三元庵」という寺廟の存在を確認することが出来た。(場所は後述)


二つ目、上に掲げた寺廟「三元庵」からさらに東方向に進むと同じ北側に「八佛庵」という寺廟があり、「三元庵」と「八佛庵」の中間から「八佛庵」寄りのところに「八佛庵胡同」という地名が書かれていることが確認できた。


三つ目、上の二点の内容をもとに現在「三源胡同」と呼ばれる胡同が当時「三元庵」なる寺廟があったにもかかわらず、当時はひょっとすると「八佛庵胡同」と呼ばれていた可能性があることをここで指摘しておきたい。ただし、もちろんこれはあくまで可能性に過ぎず、今後さらに調査が必要なのはいうまでもありません。


なお、いまひとつ書き添えておけば、現「三源胡同」の東端を南折すると「治国胡同」という胡同に出るのですが、乾隆京城全図を見ると東端近くの路地を南折したところに「三元庵胡同」という地名が書かれていて、たんに書籍からだけの知識ではなく、今回、京城全図でその名称を確認することができたのは嬉しい。


ということで、この「三源胡同」の乾隆年間における名称についてはとりあえず不明ということにしておきたいと思います。


時代がずっと下って日本占領下の昭和13年(1938年・民国27)4月5日発行で、発行者・時局地図普及会、発行所・アトラス社『最新北京市街地図』を見ると「三元庵」とあるのがわかります。画像が鮮明でない点はご容赦願います。下の地図をご覧ください。


青線円内が「三元庵」。


ちなみに乾隆京城全図で「三元庵」という寺廟と「八佛庵」の確認できる場所を上と同じ地図を使って確認するとおおよそ以下の通りです。


赤線円内が「三元庵」。
円内の赤点部分が寺廟「三元庵」、青点部分が「八佛庵」のだいたいの位置。

上の地図の「三元庵」という三文字の一番左「庵」という文字の左寄りのあたりに「三元庵」。「八佛庵」という寺廟が確認できるのは「三」と「元」という文字の中間よりやや「元」よりのところ。


話を先に進めると、その後も「三元庵」という名前が続き、
1965年に「三源胡同」と改名され、現在にいたっています。



では、赤提灯の並ぶ路地を出て、さらに東へ歩みを進めます。





門墩(メンドン)がありました。






当記事を書いている時点(2023年1月中旬)、北京ではマスク使用の人たちが圧倒的に多く、当時の写真でマスクを着用していない人の姿を目にすると不思議と新鮮な気持ちになる。
皆さん笑顔なのも印象的だ。


マスクをしてると顔が暗くなる、そう感じるのはわたしだけかな。




「紅棉旅館」という看板が電信柱にかかっていました。



紅棉旅館
矢印の方向へ行ってみたくなりますが、ここは行ってはいけません。


ここは、突き当りを左折です。



左折して道沿いに進む。
すると、正面奥に「旅館」と「矢印」だけが書かれたとってもシンプルな
看板が目に飛び込んできます。



この「旅館」に矢印という、とってもシンプルな看板の裏側一帯に
かつて「三元庵」という寺廟があったと思われます。



昔、三元庵という寺廟のあった前あたりから
矢印の方向、東方向を撮ってみました。



ところで、日本占領下(厳密には占領以前から)の北京には日本関係の店舗があり、当時「三元庵」と呼ばれていた胡同も決して例外ではありませんでした。


この胡同にかつて存在していた日本関係の店舗には、いったいどのようなものがあったのか。現在分かる範囲内で只今調査中ということで、次回紹介予定です。

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