第305回 北京・紅燈幻影 《蔡家胡同》その1―三等妓院(下処)十三軒なり―
今回は蔡家胡同(Caijia Hutong/ツァイジア フートン)におじゃましました。
歩いたのは前回と同じく昨年の2023年の11月20日。
スタートは、煤市街(メイシージエ)沿いにある西出入り口からでした。
写真を撮っていると、なんと、足元に嬉しいお友だちがやってきましたよ。
飼い主さん曰く、ワンちゃんたちはこの胡同内に住んでいるそうです。
ワンちゃんたちについて語るときの飼い主さんの優しいまなざしが素敵でした。
散歩も終わり、家路につく飼い主さんとワンちゃんたちのうしろ姿。
門扉に「福」の一字が貼られていたのは、蔡家胡同14号。
門の上には、吉祥如意の四文字も・・・
歩きはじめに可愛らしいワンちゃんたちや「福」や「吉祥如意」というおめでたい文字に出会えたわけですが、はじめ良ければすへて良し、そんな予感に心躍る胡同歩き
蔡家胡同の案内板がありました。
上の案内板や『北京地名典』などを参考にこの胡同の沿革などにについて簡単に触れておくと次の通りです。
【名称の変遷】
東は前門大街から西の煤市街に至る。
明の時代、張爵の『京師五城坊巷胡同集』によると、蔡家胡同。
次の清の時代、朱一新の『京師坊巷志稿』でも蔡家胡同。
その後、この胡同名が現在まで引き継がれているわけですが、
この地名は、「蔡」という姓のお金持ちが暮らしていたことに由来するそうです。
【三等妓院十三軒なり】
この胡同に関して特筆すべきは、この胡同が清末から民国期にかけて三等妓院(下処)の集中地域の一つだったことでしょうか。
たとえば、麦倩曾「北平娼妓調査」(《社会学界》第5巻、1931年6月)によると、民国18年(1929年)の統計では、この胡同には二等妓院(茶室)が1軒、三等妓院(下処)が13軒あったことが分かります。
ちなみに上掲の統計を見ると、当時、三等妓院の多かった場所は、一番目は「河里」の25軒、二番目は「四聖廟」で20軒、三番目は「黄土坑」の19軒、そして四番目に多かったのが件の13軒の「蔡家胡同」となっています。
「ほぼ百年前、ここには三等妓院が13軒もあったのか!」
そんな救いようのない文言の重さをじっくり咀嚼するとともに思わず今現在の日本社会に存在する深い闇にも思いを馳せましたよ。
もう少しこの胡同について書いておくつもりだったのですが、それは後ほどにしてさらに東方向に進みます。
歩いたのは2023年の11月20日。あと少しで新年の到来です。中国国旗が出迎えてくれたのはそんな理由からでしょうかね!?
家屋の一部を何気なく彩る飾りがありましたよ。
円形の瓦の一部を利用した文様に、うっとり。
花瓦頂(フアワーディン)。
次の写真の玄関には邪気が門から入るのを防ぐといわれる門神が貼られていました。
上の写真、蔡家胡同32号に貼られている門神は、どちらも唐の勇将で実在の人物がのちに神格化されたもの。
向って左、秦叔宝(しんしゅくほう。生年未詳~638年)、名は瓊(けい)、叔宝は字。
右は、尉遅敬徳(うつちけいとく。585年~658年)、名は恭(きょう)、敬徳は字。
この二人の武将が門神になった経緯についてのお話が興味深い。
唐の太宗(たいそう。唐の第二代皇帝)が病になったとき、悪鬼が外で呼ぶ声が聞こえるので、この二武将に門を守らせたところ、事なきを得た。そこで太宗は二人の絵を絵師に描かせ宮門に掛けさせたそうだ。『三教源流捜神大全』より。(『新編中国歴史文化事典』新潮社、2000年1月30日2刷)
2023年は卯年(兎年)でしたが、こんな絵が描かれていました。
前年の2022年に描いたものでしょうか。
虎年吉祥。
さらに東方向へ。
北京の暑い夏、ささやかですが歩く人たちの目を楽しませ、緑陰を提供した蔓性植物。
今はその役目を終えようとしていますが、また来年に会いましょう。再見!
日向ぼっこ中のニャンコがいました。
どうやらここはこのニャンコの定位置のようです。
警戒心のない、人馴れしたニャンコ。
斜め上を見ています。
目線の方向にカメラを向けると・・・
仲良しさんがいましたよ。
「あそぼ」って感じでしょうか。
ニャンコの日向ぼっこの定位置は立派なドア・ノッカーのある家の前。
近所にお出かけの際には、ぜひ蔡家胡同にお立ち寄りください。このニャンコが出迎えてくれるかも・・・