第284回 北京・紅燈幻影 《朱茅胡同》その4ーアヒルのいる風景、2013年の思い出などー
高齢犬を大切に抱えながら散歩中の女性に挨拶して、
穏やかな秋晴れの朱茅胡同をさらに南へ。
同じ一つの玄関の上に門牌が二枚並んで貼られているお宅がありました。
朱茅胡同36号院と38号院が仲良く並んでいます。
胡同付属の案内板などによると、この胡同の36号院と38号院の間の37号院には老生役(※)で著名な京劇の俳優・張二奎(ヂャン・アルクイ)さんが暮らしていたことがあるそうです。
(※)老生”とは、忠臣、烈士、学者、長老といった役柄。
ちなみに張二奎(1814ー1860)さんは、道光時代(1821-1850)に活躍した程長庚(チョン・チャンゴン)、余三勝(ユィ・サンション)とともに京劇三鼎甲と呼ばれた優れた役者さん。
なお、京劇三鼎甲の一人、程長庚さんはこの胡同からほど遠からぬ百順胡同に住んでいたことがありました。『第238回 北京・紅燈幻影《百順胡同 その三》増補版』で簡単ではありますが触れていますので、興味のある方はご覧ください。
さらに歩みを進めると、絶妙なカーブを描く場所にやってきました。
うっとりするような湾曲ぶり・・・。
うーん、生きものの気配がする。
やっぱり、いた。
アヒル。
静かにじっとしています。
驚かさないように気をつけ、びくびくしながらカメラのシャッターを押すわたし。
人馴れしているためか警戒心など微塵もなく、ぴくりともしないアヒル。
飼い主さんたちにお訊きしたところ、明るい昼間のうちはこのように屋外に出しっ放しにしていて、その時の都合にあわせてケージに入れたり入れなかったりするそうです。夜間は写真右側の物置にケージに入れてしまっておくとのことでした。
玄関前に置かれた二脚の椅子にペットのアヒル、いかにも胡同といった景色が目の前にあり、静かでゆったりとした時が流れていました。
「またね・・・」
静かにじーっとしていたアヒルちゃんでしたが、話しかけてみると立ち上がった姿を写真に撮らせてくれましたよ。
たまたまですが、本年の10月中旬頃、中国の知人が楽しい動画を送ってくれました。場所は北京の公園のようです。
次に掲げる写真はその動画を一部利用したもの。
アヒル(うえのアヒルとは違う種類)が飼い主さんと散歩中・・・。
飼い主さんにぴったりくっついて散歩中のアヒルと、
「な、なんだあいつは・・・」とかたまっているフレンチ・ブルドッグ。
いよいよ朱茅胡同も終点に近づき、
この胡同はアヒルのいる辺りからさらに右に急カーブを描いています。
静かにゆっくりと登場した電動バイク。
狭い道に慣れているようで、歩行者に優しい運転ぶりを披露してくれました。。
立派な胡同牌が壁に設けられています。
この胡同が新中国成立以前、北京を代表する花街の一つであったことは前に書きました。
肖复興『八大胡同捌章』(2007年6月、作家出版社)は、新中国成立一年前の1948年の記録として、以前ご覧いただいたように17軒の妓院名と住所番号を掲げていましたが、同書によると、1949年の北京の妓院封鎖時(※)の朱茅胡同には次の妓院があったそうです。
忠福院
富貴堂
清華院
春香院
興化閣
華美楼
会友茶室
銀香茶室
奎順下処
※北京の妓院が封鎖されたのは1949年11月21日(の晩)から翌22日(の早朝)にかけてのことでした。
下の写真正面奥を横切っているのは燕家胡同。
燕家胡同と朱茅胡同の交差口から朱茅胡同を撮ってみました。
穏やかな秋晴れの日に朱茅胡同を歩き終わって。
現在コロナのため自粛生活を余儀なくされているわけですが、不自由な生活を利用してかつて撮りためた写真を整理していたところ、今から9年程前の2013年8月に朱茅胡同におじゃました時の写真が目にはいりました。
その中に忘れていたわたしのお気に入りの写真があった。
それは、「嬉しい、楽しい、わたしも仲間に入りたい」。そんな思いが心の底から湧きあがってくるようなもの。
場所はほぼ朱茅胡同で間違いないと思われるのですが、いざこの胡同内のどこであったのかを具体的に考えてみると思い出せない。わからない。記憶力の弱いことは子供のときからなので仕方がないと諦めているものの、こういう自分を「情けないなぁ」とあらためて思う。
とはいうものの、この時の写真を見ていると、もう戻ることの出来ない時代ですが、心の中のどこかに意識するとはなしにいつも大切にしまってあり、ある時ふいに、何の前触れもなく、あの時代の香りや匂い、そして多くの声やさまざまの感触が心の奥からおどりだしてくるようです。
「嬉しい、楽しい、わたしも仲間に入りたい」。
たまたまだったのでしょう、この胡同で遊ぶ子供たちに遭遇したのは。
それは不意にその姿をあらわした。
はるか遠くにある景色でありながら、ふだんは忘れている、それほど身近にある大切なもの。
そのことにあらためて気付かせてくれた朱茅胡同からの贈り物。