第264回 胡同回憶・福州館街
福州館街(Fuzhouguanjie/フーヂョウグアンジエ)
藩家胡同につづいて福州館街を歩きました。2014年10月下旬。
再開発のため取り壊し中ということで住民の姿をほとんど見かけることのなかった米市胡同、保安寺街、そしてやはり同じ状態だった藩家胡同と歩いて来たわけですが、だからこそでしょうか、取り壊されていなかった福州館街の出入り口に立った時には胡同に流れる生活の匂いや通りに響く生活の音に新鮮な驚きがありました。
胡同牌。嬉しくなって思わず撫でなでしてしまった。
ここは長さ200メートルほどの短い胡同。
西口出入り口からスタートです。
明の時代
「崇興寺」という名称。
同名の寺院が名前の由来ですが、『光緒順天府志』などによるとこのお寺は明の天順4年(1460年)勅建なのだそうです。
清の時代
崇興寺胡同。
民国になって、東側部分が「福州館街」(あるいは福州館)、西側部分が「崇興寺」。
1965年合併し、現在名に。
清の朱一新編『京師坊巷志稿』を見ると、当時この通りには次の会館があったことが分かりました。
福州会館(福建)
福清会館(同上)
濮陽会館(河南)
理化会館(雲南)
そして同書は昔,鄞県会館(浙江寧波)があったとも記しています。
ちなみに中華民国23年4版『最新北平全市詳図』を見ると福州会館と福清会館の二館の名前を確認することができました。
上の写真のお宅は8号院。
福州館小学。住所は3号院。
学校のHPによると2015年5月29日から「北京市第八中学付属小学」に改名。
ちなみに、1949年創立で「崇興寺」跡地に建てられたそうです。
小学校の前にあるのは高家寨胡同。
1号院。
このまま道沿いに進みます。
高い塀がありますが、この中は北京市工人倶楽部。こちらには劇場などの設備もあり、さまざまな催し物が開かれます。1956年開館。
工人倶楽部は福州会館とその隣にあった福清会館の両会館の跡地に建てられたとか。
なお、福州会館はもと明の時代の役人・葉向高(1559~1627)の故宅。
葉向高は、明末の宦官で16代皇帝天啓帝の下で権勢をふるい、国政に害毒を流したといわれる魏忠賢の迫害を受け離官したといわれています。
写真手前から、水の販売所に食堂和順軒、そして野菜売り。
8年後の現在もこのままかどうかは不明です。
天津包子をメインに天津料理を提供するお店。
美味そうな店だったので入りたかったのですが店内はお客でいっぱい。
ここで古地図をご覧いただきます。
昭和13年4月発行、東京アストラ社編纂『最新北京市街地図』より
上の地図の真ん中より左寄りの所に「福州館」その左に「崇興寺」と見えています。
崇興寺とはいうものの卍マークがないので寺院ではないことが分かります。
下の写真正面を横切るのは「虎坊路」。
左折して少し行くと立派な京劇の舞台のある「湖広会館」。
京劇を観賞せずに食事だけしてついでに館内見学というのも可能です。
わたし的には北京旅行の際にはぜひ立ち寄っていただきたいお薦めの
場所のひとつになっています。
福州館街
福州館街は長さ200メートルほどのごく短い胡同。
湖広会館見学の後は胡同探索。その体験はきっとかけがえのない、いつまでも忘れることのない、どんな土産物にもまさる素敵な北京土産になるのではないでしょうか。