北京·胡同窯変

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第303回 北京・紅燈幻影 《博興胡同》その1 ―只今妄想増殖中! ここって三等妓楼だったのか―

博興胡同(Boxing Hutong/ボーシンフートン)


北京の繁華街・大柵欄にある博興胡同に行ってきました。


久しぶりの胡同散策ということで、ちょっと緊張している楽しい自分がいました。


胡同を歩いたのは2023年11月20日。

博興胡同と刻まれた牌楼がまぶしい。



当日は牌楼のある,煤市街(メイシージエ)沿いにある東出入口から歩き始めました。


【名称の移り変わりについて】


清末、朱一新(1846~1894)撰『京師坊巷志稿』では、柏興胡同(ボーシンフートン)。
時代が少し下って、陳宗蕃(1879~1953)『燕都叢考』では、「柏」が「博」となり、博興胡同(ボーシンフートン)。



柏興胡同が博興胡同になったわけですが、『北京地名典 修訂版』(王彬・徐秀珊主編、2008年11月第1版、中国文聯出版社)では、博興胡同に改称されたのは宣統年間とあり、『北京胡同志』(段柄仁主編、2009年4月第1版、北京出版社)では、民国からと書かれていました。


改称後、博興胡同という名称が現在まで続いています。


なお、この胡同はかつて花街の一つだったのですが、その点については後程触れたいと思います。


牌楼の北側にある建物は公共トイレ。住所は博興胡同甲1号。


東出入口から見た博興胡同。


博興胡同2号


博芸図文快印店



2号院の壁沿いに置かれていたバイク。


北京でも人気の藤原とうふ店


こちらは博興胡同5号



タバコやアルコール類を売るお店がありました。
百合雯商店(バイホーウェンシャンディエン)

時間がまだ早く、開店準備中でした。


西隣りは7号院


こちらは博興胡同9号院


玄関の上の扁額に注目しました。



漢字二文字が刻まれています。



刻まれた文字、私には「同徳」と読めたのですが・・・。




同徳」。


これって「同心同徳」(成語)の「同徳」ではないかと思われます。
「同心同徳」は「一心同体」「一心同体となる」の意味。


当記事のはじめに「この胡同はかつて花街の一つだった」と書きましたが、この二文字を見つめていたら、玄関の上に「同徳」と刻まれたこちら9号院は、ひょっとしてかつては妓楼(妓館)だったんじゃないか、そんな妄想が頭の中をよぎりました。


これまでにも触れたことですが、かつて北京では妓館を四つの等級に分け、次のように呼んでいたそうです。


頭等・・・・・清吟小班
二等・・・・・茶室
三等・・・・・下処
四等・・・・・小下処


中野江漢著『支那の賣笑』(大正12年12月30日発行。ちなみに大正12年は西暦で1923年、民国12年)にこんなことが書かれていました。


清吟小班」を日本の「芸妓屋」とすれば「茶室」及「下処」は「女郎屋」である。前にも述べたように、歌妓にも二種類ありて、枕席に侍るを主とするものもあるが、小班の妓女は歌を唄うことが主たる目的となって居る。これに反して「茶室」の妓女は純然たる娼妓で賣淫が主となって居る。「下処」に至っては茶室の下等なるもので、之を日本でいえば吉原の河岸か、洲崎のケコロあたりのチョンチョン格子の女郎格であるといってよい。(「六、茶室と下処」の「(イ)茶室は日本の女郎屋」より)


下処には二種ある。即ち三等を普通に「下処」といい、四等を「小下処」と呼ぶ。北京に於ける下処は現在百六十戸で娼妓数は一千七百四人、小下処は三十戸、妓数三百八十人である。「下処」は茶室より一等格が下がる、最下等の妓館である。(「六、茶室と下処」の「(ト)「下処」の所在地と其構造」より)


参考に『北京の賣笑』で挙げられている前門外の花街にある三等妓館・下処のある胡同名を書き出すと次の通りですが、その中に今回歩いた博興胡同が入っています。


陝西巷、石頭胡同、王廣福斜街、燕家胡同、朱茅胡同、青風巷、火神廟夾道、小李紗帽胡同、博興胡同、王皮胡同、蔡家胡同、朱家胡同、小罐胡同、雙五道廟、王家大院(俗称王八大院) (現在名とは違う、旧名のまま書き出していますのでご注意ください)


さきにご覧いただいた「同徳」の文字の見える9号院は、「今後さらに調べてみる必要ありだな」と思いながら、その一方で私の妄想通りにここは昔の妓館旧跡ではないか、もう少し書けばこちらは上に紹介した三等妓館・下処だったのではないかなどとと苦笑しながらさらに妄想を逞しゅうしてしまうのは私の単なる異執(いしゅう)のなせるわざか。


ちなみに『北平娼妓調査』(麦倩曽著、社会学会・第5巻、1931年6月)を見ると、民国18年(1929年・昭和4年)の統計として当時の博興胡同には頭等妓館、二等妓館、そして四等妓館はなく、八軒の三等妓館・下処があったことがわかりました。


けっして距離のある胡同ではないのですが、そんな狭い場所に三等妓楼が八軒もあったなんて、ちょつと驚き。



博興胡同における妓館の話題はこのへんできりあげ、次に進みます。




玄関に「聚興源」と看板が出ていますが、こちらは旅館。


こちらは博興胡同11号院



11号院の並びには、女性専用トイレ。
住所を確認すると、ちゃんと記載があり「博興胡同11号西」となっていました。


上のトイレの前は「公安」の二層の建物。
百度地図には「大栅欄派出所」とあり、住所は博興胡同8号。


あと少しで博興胡同も終点。


次回はかつて北京にあった自衛組織や、やはりかつてあった日本関係の施設などについて簡単にですが触れる予定です。

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