第265回 胡同回憶・新開路胡同 (前)
新開路胡同(XinkailuHutong/シンカイルーフートン)
新開路胡同におじゃましたのは、2017年5月下旬。
この胡同は:当時、明陽国際中心というオフィスビルを間にはさむかたちで東西二本に分かれていて、当日は東側の東端からスタートしました。
地図①
青色の点線部が東側の新開路胡同で、当日スタートしたのが矢印部分。本来ならば地図右端の朝陽門南小街沿いの胡同出入り口からスダートなのですが、長安太和なるマンションのため、仕方なく西総部胡同沿いから件の胡同に入りました。
東端から見た西方向。
正面奥に見えている建物が明陽国際中心というオフィスビル。
歩き出す前にざっと胡同の沿革など。
明の時代,新開口。
清の乾隆年間,新開路胡同。
宣統の時,新開路。
中華民国の時も新開路。
1965年から,新開路胡同。
なお,文革の時に瑞金路六条と改名されたことがあるそうです。
西端南側には寧郡王府が今も遺り、時代は未確認ですが、東端南には文思院(官府の制作機構の一つ)があったとか。
また、中華民国23年に発行された地図(複製)を見るとこの胡同内には,次の会館と公寓(アパート)がありました。
会館
安陸会館(湖北)
黄安会館(同上)
公寓
同陞(昇)公寓
同華公寓
その他,日本占領時代の日本旅館や飲食店などもあったのですが、そのあたりのことは歩きながらおいおい触れたいと思います。
日本占領当時の新開路胡同(当時は新開路)は日本人と関係の深い胡同の一つでした。
【畳屋さん】
日本人の生活にかかせないものの一つ、それは畳。この胡同内には、畳屋さんが二軒ありました。ただし、番地が現在のものと一致するかどうかは未確認ですので、ご注意を。以下同じ。
当時の日本人は中国式の住居を日本式に改修して暮らしていたことが分かります。
一軒は覚野畳店・・・新開路41号
もう一軒は共栄畳店・・・新開路41号
畳屋さんがあったのですから、やはり日本人の暮らしに欠かすことの出来ないお米屋さんもありました。
【白米配給販売】
大林商会・・・新開路31号
胃腸薬だって欠かせませんよね。
薬の「わかもと」の販売所があったのにはとっても感動してしまった。
【わかもと製造販売】
わかもと本舗出張所(中国若素製薬公司)・・・新開路45号
小鳥、鳥籠。
並べられた腰掛。
小鳥の声を観賞しながら世間話に花が咲く。
日本関係の店舗など
被服類を扱う三羊商会というお店もありました。新開路であることは間違いないのですが、
こちらは番号が分かりませんでした。
誠和洋行という陸軍用達の店舗もあったそうですが、具体的にどんなものを取り扱っていたものか残念ながら不明。番地は新開路41号。
下の写真。突き当りを左折すると「春雨胡同」。
ちなみに、春雨胡同の角のお宅には、こんなワンちゃんがいました。
暑いワンって言ってましたよ。
そして春雨胡同には、こんなニャンコも。地元の人たちに愛されるニャンコ。
ご近所の皆さんが餌や水をあげているようです。
話を新開路胡同に戻して、右折する前に来た道を振り返ってみました。
まだ5月の下旬だというのに当日は暑い日で、道行く人の格好はもうすっかり夏姿です。
正面に見えている大きな建物は前に少し触れた長安太和というマンション。
右折するとこんな風景。
こちらは東城区西総布小学。こちらの胡同名は西総布胡同。
通りに立って右側(東方向)を見ると、電信柱にわざわざ「新開路胡同」という表示板が。
当日はここから入り、いったん東端まで行き、それから西の端まで歩き、
そうして小学校の前までやって来たわけなのです。
東方向には、こんな建物。建設中の新しい国貿ビル。
少し西方向に進むと、またもや「新開路胡同」と書かれた表示板。
矢印の方向を見ると、公衆トイレ。
「西側の新開路胡同はここからですよ、このトイレの所からですよ」
表示板からそんな優しい声が聞こえてきそうでしたよ。
建晋旅館も目印になりますね。
スーパー「歓楽家便利店」。
スイカ(西瓜)、運び出してました。
(スイカ食べたかったけど)スイカを横目にさらに進みます。
私の横を通り過ぎて行った若者二人。
お一人が西側の新開路胡同の東端はこっちこっちと教えてくれました。
見えてきた見えてきた。
心地よい緊張感が体の中を走る一瞬です。
見えました~。
こちらが西側新開路胡同の東端です。昔は先ほど歩いた東側の新開路
胡同と繋がっていたんです。
次回はこの東端から西方向に向かって歩きます。