第306回 北京・紅燈幻影 《蔡家胡同》その2 ―国営蔡家旅館や金昌堂醫院など―
ニャンコとのわかれを惜しみつつ、さらに東方向に進みます。
ほんの少し進むと、蔡家胡同の31号。
玄関脇にこんな箱が設置されていました。
寵物拾便紙・寵物拾便袋
ペット用のトイレットペーパー・ペット用のゴミ袋
遵守社会公徳・依法文明養犬
随取随用・感謝大家投放紙張
寵物便便
及時清理
ペットの便はその場で処理してください。
宿泊施設がありました。
紅墻・秋果酒店
秋果酒店
こちらのホテルはチェーン店の一つ。
住所は蔡家胡同6号
角度を変えて東方向から撮ると、こんな感じです。
携帯を使って秋果酒店・蔡家胡同で調べてみると、このホテルの宣伝用動画に遭遇。そこで次の写真を拝借。
さらに中国のサイト・老北京網で調べてみると次の写真があり、拝借しました。このホテル、昔は国営の旅館だったようです。
国営蔡家旅館
旅館内部の二階部分
前回、民国18年(1929年)の統計によって、この胡同には二等妓院(茶室)が1軒、三等妓院(下処)が13軒あったことを紹介しました。
おそらく中華人民共和国成立以前の中華民国期、この宿泊施設は当時この胡同にあった妓院の一軒で、新中国成立以後に国営旅館として改造の上使用されていたのではないか、そんな思いが頭の中をよぎりました。
ホテルの前あたりから東方向
さらに東方向へ
上の写真の子供用自転車のところから斜め東方向にやはりホテルがありました。
名称は怡萊酒店。
(都合により東方向から撮っています)
住所は蔡家胡同甲9号。
こちらのお宅は蔡家胡同5号
玄関の上の扁額に文字が刻まれていないかと思って確認したのですが、何もありませんでした。
文字は刻まれていませんでしたが、バラが咲いていました。
次は3号院。
玄関(門洞)の奥の壁に蓮の花が咲いていました。
次は蔡家胡同1号。
北京市西城区・西柳樹井幼児園
さらに東へ進むと・・・糧食店街という通りに出ます。
次の写真はその糧食店街から歩いてきた西方向を撮ったもの。
糧食店街からもう少し東方向へ足を運びます。
すると蔡家胡同の東端・前門大街に到着です。
次の写真は前門大街から西方向を撮ったもの。
蔡家胡同にゆかりある日本人はいないものかと探してみると、次の記事に出っくわしました。出典は『支那経済全書(第七輯)』(東亜同文会発行、明治四十二年五月二十五日四版)。国立国会図書館デジタルコレクションより。
上の記事によると、蔡家胡同の「東頭路北」つまり東端の北側に「金昌堂醫院」という医院があり、院長が「日本陸軍醫官」で「加藤清継」という人物であったことがわかります。
この医院には内外科、眼科、婦嬰科、歯科があったようです。
ちなみに「東洋国手」の東洋とは中国からして日本のことを言い、国手とはこの場合医者のことを指しています。
上掲『支那経済全書』の出版されたのは明治42年(1909年)、中国では清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀さんの時代です。あと数年後に辛亥革命が起こり、清朝が倒れる激動の時代。そんな時代の北京で醫院の院長をしていた日本人はいかなる人物であったのか、思わず食指が動く。
前門大街と刻まれたマンホールの蓋。
前門大街の北方向。