北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第241回 北京・紅燈幻影《韓家胡同(中)》

次の写真は西側から見た20号院。


この建物の正面には、北方向へ走る胡同があります。



名前は、大外廊営胡同。
この道を北方向に行くと鉄樹斜街という胡同に辿りつくんですが、今回はさらに話しを先に進め、大外廊営胡同は回を改めて紹介させていただきます。


さてさて、20号院から西方向すぐのところには、昔妓院だった慶元春という建物。胡同関係の本によると、ここは昔一等妓院(青吟小班)だったとか。



住所は韓家胡同21号院。


一階窓の上に「慶元春」という文字が刻まれているんですが、いつ見てもまぶしい。



思わず手で触れたくなってしまう達筆ぶり。



しかも、書かれている内容がお客のハートをぎゅっとつかんではなしませんよね。


「又有佳肴」


「以宴嘉賓」


どんな美味い料理で客をもてなしたのか、
想像しただけでお腹も心も、ぱんぱん。



ところで、いつ頃から始められたのか不明ですが、北京では花街の主役、妓女たちを対象とした「美人投票」が行なわれていました。


昭和16年(1941)に出版された北京に関する本には、こんな記事が載っています。


“昨年(民国二九年)の春久し振りで花國佳人の美人投票が行われ、約一月に亘って人気を煽り四月十一日付の戯劇報紙上で當選者が発表された。姫達は八埠(八大胡同のことー引用者)の二千五百余人の姫の中から選び出された代表的名花である。この中には既に八埠から姿を消し家庭の人となって幸福な生活を送っている姫のいることを断っておく。”


ということで、次に民国29年に開催された“美人投票”の結果発表!!
次に「代表的名花」24名の源氏名と妓院名を書き出してみましたよ。ご参考にカッコ内は引用者が付した胡同名です。


第一名         璐琴       環翠閣 (韓家潭)     
第二名         寶珠       明鳳院 (百順胡同)
第三名         麗鶯       瀟湘館  (百順胡同)
第四名         小珍珠    満春院  (韓家潭)
第五名         飛影        蒔花館  (百順胡同)
第六名         月月        星輝閣  (韓家潭)
第七名         弟弟        星輝閣  (韓家潭)
第八名         妙娟        鑫鳳院  (百順胡同)
第九名         緑憶        美鳳院  (百順胡同)
第十名         麗君        瀟湘館  (百順胡同)
第十一名      如花        環翠閣  (韓家潭)
第十二名      艶珠        鑫鳳院  (百順胡同) 
第十三名      蘭妹        天寶班  (石頭胡同)
第十四名      桂花        雲和班  (石頭胡同)
第十五名      梅妃        明鳳院  (百順胡同)
第十六名      停雲        鳳鳴院  (百順胡同)
第十七名      花芳        蘭湘班  (百順胡同)
第十八名      笑月        春艶院  (韓家潭)
第十九名      銀福        雲和班  (石頭胡同)
第二十名      玲瓏        環翠閣  (韓家潭)
第二一名      麗娟        星輝閣  (韓家潭)
第二二名      小雲        明鳳院  (百順胡同)
第二三名      顰卿        鳳鳴院  (百順胡同)
第二四名      艶君        鳳鳴院  (百順胡同)


「二千五百余人」の妓女さん達の中から選ばれた24名。そろって名花ばかりだったんじゃないかと思料しております。


ではでは、この辺でさらに歩みを進めると、お次は「慶元春」の西隣。



「工芸服装店」と書かれた渋い看板。


チャイナドレスとか注文服を作ってくれるお店。



向かい側の光景。




大きな門牌30号。



玄関脇にはこんな貼り紙。


速達便の配達員さん
30号の速達便は小売部へお願いします。



で、こちらが矢印⇒の指している小売部。


さらにその脇が店舗の出入口。
見ると出入口ではワンちゃんがお昼寝中でしたよ。



当日は暑く、湿度も高かった。
ワンちゃん、体を冷やすためお腹を床にくっつけて、ぐっすりと寝てましたね。


起きていれば声でもかけるのですが、お休み中なので静かに退散。


ワンちゃんがお休み中の30号院の前には、わたしを誘惑する素晴らしい胡同。



名前は小外廊営胡同。



この道は、先に触れた大外廊営胡同に通じています。



先の30号院の西隣の32号院。



現在は一般民居なのですが、新中国成立前はいったい何だったのかと妄想逞しくさせてしまう雰囲気が濃厚。
この建物を眺めていると「怪しいなぁ」という言葉がついつい頭をよぎります。



思えば、ここ八大胡同すなわち旧花街には紫煙漂い紙幣飛び交う賭博場などの娯楽施設が付きものだったのはもちろん、むせかえるような脂粉の香りに満ちた妓院には当時公然の秘密だった大煙館(アヘン吸飲所)もあった。
前回紹介させていただいた20号院についてだって、不確かさがつきまとうものの、民国期には賭博場だったという説もあるほどだ。


八大胡同という花街は迷い込めば迷い込むほど非日常的な黒い面白みが深化する迷宮空間といっていい。




さらに進むと大きなゲート。



敷地面積もかなり広そうです。



こちらは韓家胡同25号院。



西条区教委宣武中小学衛生保健所。



ここは、明末清初の演劇家、演劇理論家の李漁(1611-1680)さんの寓居旧跡。


李漁さんは、なんと、ご自分で劇団をつくり、自邸内で芝居をやっていたというほどの芝居好き。また、造園にも力を入れ、南京に所有していた庭園“芥子園”を模して、この寓居にも芥子園を造ってしまったというから驚きだ。


また、その書名を見てもわかるように、中国伝統絵画の指南書『芥子園画譜』のルーツもこの人だったんだそうだ。


この李漁さんの旧宅跡の変遷をこの胡同の説明板と胡同関係の本をもとにざっと書いておくと次の通りです。


李漁さんの寓居後「広東広州會館」に改められ、その後一等妓院「美仙院」となり、新中国成立後は「北京九十五中学」、そして今はすぐ前にご覧いただいた学校関係の施設「西条区教委宣武中小学衛生保健所」。





韓家胡同36号院。



ここは、旧梨園公会が置かれていた場所。ちなみに、公会とは同業組織。


「梨園」という言葉が出てきたので、京劇関係のことを書いておきますと、乾隆帝八十歳(1790年)を祝賀するために、江南地方は安徽省から上京した著名な劇団の一つ「三慶班」が身を寄せたのはこの胡同内だったそうです。



36号院を後にとぼとぼと歩いていると、いいものを見つけました。



ツバメの巣。
残念ながら雛たちはもう巣立ってしまったようです。



そして、可愛らしいバイクがあった。



「こういう可愛らしいバイクに乗って胡同巡りもいいよね。」
そんな思いが自分の中にきざしたんですが、ドラちゃんと目があってすぐに撤回。
こんな可愛らしいバイクに乗って走る自分の姿を思い描いたら、自分にはあまりにもミスマッチで我ながら不気味すぎるんだよね。


《参考資料:次回掲載いたします。》

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