第269回 胡同回憶・蘇州胡同(その3)
昔、七賢里と呼ばれ、現在は蘇州胡同の一部になっている路地。
ここには以前から興味を持っていた洋館があるのですが、この路地の住民のお一人によると、この路地の西側の家並みを探索すると、問題の洋館に接近できるとのこと。
こちらは蘇州胡同97号。
東側もご覧ください。
いい表情してます。
西側に戻ると、なんと、温室。
温室の北隣り。
蘇州胡同95号。
なかを拝見すると、見えました見えました。
住民曰く、さらに北へ行くとよく分かるとのこと。
そこで、北へ。
ホント、前よりもよく分かります。
昔は出入り口として使われていたドアでしょうか、現在は自転車が置かれ、出入り口としての機能を果たしていないのかもしれません。
地下室の窓がありました。
さらに奥へ。
改装されてまだそれほど時間の経っていないガレージ。
ガレージを越えて、こちらは蘇州胡同89号。
一階部分と二階部分とがはっきり見えてきました。
これまでの写真を振り返ると、通りから北方向に走る問題の洋館が、同じスタイルの幾棟かの建物の繋がりで出来ていることが分かります。
北隣のお宅は、三階部分が建て増しされていました。
さらに北へ行くと、こんなゲート。蘇州胡同87号。
あくまで個人的な感想に過ぎないのですが、窓枠や玄関部分を除いて、この蘇州胡同87号のお宅がかつての洋館の原形をとどめているのではないかと思われます。
ところで、中国のサイト「環京津新聞網」(2019‐07‐08 11:24)によると、日本占領期の
この洋館には中国農工銀行(※)の高級職員が居住していたとのこと、また、「捜狐網」(2018‐07‐23 21:21)によると、蘇州胡同七賢里3号には、中国人法学家で,極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)にも関係した倪徵ユイ(ニーヂョンユィ。ユィは日偏に奥。1906年7月-2003年9月)さんが外交部法律顧問として1956年から30年間ほど暮らしていたそうです。倪徵ユイさんが暮らしていたといわれる蘇州胡同七賢里3号は、今回訪れた洋館の一画にあったのではないかと思われます。
背景の洋館を見ると、今回訪れた洋館とよく似ている、というよりか「そのもの」と言ってよいかも知れません。写真左側は夫人の張鳳楨さん。
上の写真は捜狐網よりお借りしました。
※中国農工銀行・・・西交民巷50号に現在もその旧跡が残っています。北京市第五批市級文物保護単位。
問題の洋館についてはこのへんにして、もとに戻ります。
蘇州胡同七賢里の出入り口斜め前には一本の路地が南方向に走っています。
生き物の気配がするので探してみると・・・
ニワトリ。
さらに前へ。
突き当り右側には今回ぜひおじゃましたいと決めていた、もう一軒の建物。
蘇州胡同78号。
玄関上の美しい花模様。
味わいのある門扉。
春聯(門聯)。
春聯(門聯)は内部の住民と外部の人を優しく繋ぐ立派な護符。
北側一階部分。
北側二階部分。
温かみのあるハトの鳴き声が上から降ってきたので見上げるとハト小屋。
西側。
南側。
蘇州胡同78号院は、まるで洋風スタイルの建物で造られた四合院住宅のようでした。
78号院をあとにさらに前へ行くと路地。
正面を横切っているのは三源胡同。
この三源胡同は昔、三元庵と呼ばれていました。1965年、現在の名称に変更されたそうです。
それはそうと、前々回につづき日本占領期の蘇州胡同にあった日本関係の店舗名を次に書き出してみました(番号が90~80番台のもの。番号は現在のものと重なるわけではありませんので、ご注意を)。
佐藤洋服店・・・蘇州胡同98号
徳昌公司製作所・・・蘇州胡同90号
(医理化機械、度量衡計器、薬品)
大連野崎洋品店北京支店・・・蘇州胡同89号
(洋品、雑貨)
中興公司・・・蘇州胡同甲86号
(土木建築請負)
マルヨ呉服店・・・蘇州胡同83号
久保田商店出張所・・・蘇州胡同82号
(壜、缶詰、紙、茶、海産物)
もとに戻り再び東方向へ歩きます。