北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第242回 北京・紅燈幻影《韓家胡同(後)》増補版

可愛らしいバイクを後にさらに進みます。




こちらは韓家胡同50号院。




今回、どうしても内部を拝見したいお宅が数軒ありました。そのうちの一軒が、次の写真の韓家胡同31号院。



なぜかなかなか拝見する機会が得られなかったのですが、今回幸いにも住民の方にたまたまお会いすることができ、許可を得て内部を見学することが出来ました。


ちなみに、なぜこちら31号院を拝見したかったのか、ご参考に書いておくと次の通りです。


大きな声では言えないのですが、こちら31号院は民国期に一等妓院「満春院」、清の時代には男妓(男性娼妓)のいた「相公堂子」旧跡であったという愚かな考えをいつしか持つようになってしまったからなのですが、はたして私が考えていることが正当なものであるかどうかは実際には今のところ不確定で、今後もそのことを確認するべく、さらに調べてみたいと思っております。


皆様の中にこちら31号院についての情報をお持ちの方がおられましたならば、ぜひご教授よろしくお願い致します。



まずは、門墩(Mendun/メンドン)。


彫り飾りは無事ですが、一部削り取られています。



門墩(メンドン)について興味をお持ちの方は、門墩研究家、岩本公夫さんの電子版
「中国の門墩」をぜひご覧ください。門墩についての分かりやすい説明を写真とともにご覧いただけます。
本来ならばURLをここに貼ればよいのですが迂闊にも忘失してしまいました。そこで、大変お手数をおかけしますが、「中国の門墩」をコピペのうえ、検索していただけましたなら幸いです。よろしくお願い致します。
なお、日本在住の方は大丈夫ですが、中国在住の方は残念ながらアクセスできないことがございますことをお断りしておきます。


それでは、おじゃましたいと思います。



次の写真正面に「二門」(玄関を入って二番目の門)が写っています。

この二門、もともとはもっと横に広かったのでは、と思われます。



あまり傷んでいないようでした。


二門の前、東方向に通路があるのですが、まずはこのまま直進です。



二門を抜けると、こんな感じ。



東西両サイドは、だいぶ増改築がなされています。


正面奥の棟の屋根には、採光また換気のための窓。



この棟の西隣に建物があります。もとは同じ敷地内だったのかもしれないと思ったのですが、現在は隣家になっています。



ここで二門のところに戻り、東側の通路を探索してみました。



木製の柱や軒の部分を拝見するとあまり傷んでいないことが判ります。



靴にも表情があって面白い。曲線、凹凸、陰陽、明暗。


次の写真奥、白いドアのあるお宅で行き止まりになっていました。
写真左のお宅。
さりげなく置かれた自転車も白枠でガラスがはめ込まれたドアも今風です。
東京の街角にも「白」が増え、とりわけ白いクルマが目についた時代がありました。


そういえば、当時の東京は、毎日がお祭り騒ぎだったような・・・。
私には無縁だったけれど、夜の繁華街のビルの中のお立ち台の上では超ミニスカートのギャルたちが踊り狂っていた、そんな時代でした。



この後、西隣の33号院に移動しました。



胡同の夏の風物詩。
ご主人がお手入れ中。


胡同の植物群。
それはもう美術館などには収まり切らない路上現代アート。


ニンニク、唐辛子。
邪を払う功能あり。日本でも見かける光景ですが、あのドラキュラもニンニクには弱かった。彼は鏡も苦手でしたね。


33号院の中を少しだけですがご覧いただきます。



写真正面奥、窓枠の材料と色は違いますが、先に31号院で見かけた建物の一部が写っています。


33号院を後にすると、斜め前には、小百順胡同の北出入口。




今回どうしても拝見したい建物の内の一軒がありました。



住所は韓家胡同35号院。



角度を変えて。


この二階建で屋上付きの建物が以前から気になって仕方がありませんでした。


やはりかなりの増改築がなされていました。


昔はどんな使い道で、どのような方が暮らしていたのか、興味津々たる構造ですよね。


真相のわかる日が早く来ることを期待しつつ、次へ。


35号院の西隣37号院。


39号院。


41号院。


日本では亥年で「猪(イノシシ)」ですが、中国では「猪」という漢字は「豚(ブタ)」のこと。「イノシシ」は「野猪」。


51号院。
門墩(メンドン)がありました。


彫り飾りがだいぶ削り取られていました。


もう片方はセメントで覆われていました。


お次は、南側の家並みをご覧いただきます。


60号院。
なにやら倉庫のようでした。


ミッキーマウス!!



嫌われていてしかるべきネズミですが、今や世界中で愛されています。
ミッキーは、けっして紋切型の人気者ではありません。これは奇跡!?


マイティマウス、トムとジェリーもすごい。



62号院。


二階建て、出窓のあるお宅。
やはり前から拝見したかった一軒。


もう説明は必要ありませんよね。
昔こちらは妓院だったんじゃないでしょうか。


ここで、妓女関係の話しを一つ。
前回、民国29年の春に妓女を対象として行なわれた美人投票の結果を書いておきましたが、今回は、八大胡同(旧花街)に関する知識を深めるべく妓女さんたちの年齢を取り上げてみました。


ただし、前回ご覧いただいた妓女さんたちのものではなく、時代が10年ほどさかのぼった民国18年の社会調査に見える「一等妓院の妓女年齢と妓女人数」であることをお許しください。


妓女年齢     妓女人数
16歳             76
17歳             83
18歳             48
19歳             36
20歳             23
21歳             30
22歳             13
23歳             11
24歳               3
25歳               2
26歳               2
27歳               1
総数             328名



二階建てのお宅の西側は大百順胡同の北出入口。



絶妙なカーブを描く北出入口。



次の写真は、上の出入口の対面、洗濯物が干してあるのは韓家胡同53号院。


この53号院の西隣のお宅は、2015年の9月中旬に見たときには理髪店でした。



写真左から、胡同会のYさん、大百順胡同の住民の方、カメラマンのZさん。


理髪店のシンボルマークが当時はまだあり、お店も営業中でした。


「これってひょっとして・・・。」
「あれもそうなんじゃない?」
見逃してしまった妓院旧跡がいっぱいありますが、探れば探るほど面白くなる韓家胡同もあと少しで終点です。



次の写真は、南側の家並みですが、三輪車が停まっているところまでが韓家胡同。
一番奥が82号院、二番目が80号院。



4年前の2015年9月に見かけた80号院をご覧いただきます。



寿司、居酒屋、料理と書かれた赤ちょうちん。
暖簾には、〇に「一番」という店名。



「よく冷えたビールあります。」


あの時入店しておけばよかったのにぃぃ~!!



【増補】
なお,日本占領時代のこの胡同には,次の日本関係の店舗などがありました。ただし、番地は現在のものと一致するかは未確認。


朝日館(料理屋)・・・韓家潭3号
大北亭(同上)・・・韓家潭11号
銀河(同上)・・・韓家潭25号
花月楼(同上)・・・韓家潭61号
※この場合の料理屋とは日本の三業の一つ。


食道園(飲食店)・・・韓家潭49号


国際洋行
ネオン管製造、ネオン工事請合、
看板製作塗装、家具製作
番地・・・韓家潭14号


親和公司(海産物)
番地・・・不明
(2022年7月11日増補)


《参考資料》
『北京地名典 修訂版』(王彬、徐秀珊主編、中国文聯出版社)、『八大胡同』(李金龍著、2000年10月、中原農民出版社)、『北京案内記』(昭和16年11月、新民印書館)、『民国时期社会调查丛编(底辺社会巻下)』所収麦倩曾『北京娼妓調査』など。

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