第240回 北京・紅燈幻影《韓家胡同(前)》
今回は韓家胡同(HanjiaHutong/ハンジァフートン)におじゃましました。
次の写真は陝西巷(シャンシイシャン)沿いにある東出入口から西方向を撮ったもの。
写真を撮っていると、ツアー会社の旗を手にしたガイドさんを先頭に観光客のみなさんがわんさかやってまいりました。
わぁぁぁ、すごいなぁ。
この観光客たちが歩いているのは、かつて有名な花街のひとつであった陝西巷。
「これから、昔妓院だった建物を見学するんだろうなぁ。」
「こちらが昔、小鳳仙がいた妓館でございます、なんて、お客さんたちに説明するんだろうなぁ、きっと」
そんなことが頭の中をよぎったのですが、でも、ツアーに参加している子供たちから「妓館て、なーに?」なんて真顔で訊かれたらガイドさんはいったい何て説明するんだ。
まさか「パパが歓ぶところです」とか「大人になればわかります」なんて説明するわけないだろうし・・・。
道端でそんな愚にもつかないことを考えていたら喉が渇いた。
ちょうど目の前に超市(スーパー)があったので、スポーツドリンクを購入。
ここはいたって庶民的なお店で「平価超市」と書かれたプレートがあった。
味わいのある店構え。その上、お店の人たちが気がきくというか、とっても親切だった。
ぞろぞろとつづく観光客達の行列を眺めながら、店先で冷えたスポーツドリンクを立ち飲みしていると、嬉しいじゃありませんか、
「これにお座りください」って、店の奥から椅子を持ってきて、わたしの足元に置いてくれたんですよね。
ドリンクを吞み終って、記念にお店の人たちの写真を撮らせていただこうと思って声をかけたら、恥ずかしがってお店の奥にひっこんでしまった。
わたしのようにスレてないところがいい。
お店には、二十代半ばのおにいさんと十代後半のおねえさんがいたけど、お二人とも笑顔の素敵な人たちだったな。
この男女の代りに撮ったのが、次の写真。
写っているのは、近所のおじさんだけど・・・。
椅子をありがとうございました。
また寄らせていただきます。あんまりお金を落とさないけど、その時はよろしくね。
スーパーの斜め前には飲食店があった。
もう昼食も済ませていたけど、入口にメニューが紹介されていたので確認してみた。
「老北京風味早餐」
朝食のメニューです。
数えてみたらその品数、なんと32種類。けっして大きいとはいえないお店なのに品数が多いのには驚いた。
その中に、好物の油条と豆腐脳があった。
食べたい!!
時間はすっかり過ぎていたので、食べられるわけがない。
でも、食べたい!!
わがままだなぁと思いつつも、ひょっとするとひょっとするかも、それが世の常なのだ、などと考え、お店にとびこんで下手な中国語で「油条と豆腐脳ありますか」と大胆にも訊いてみた。
案の定、お店の人たちからは、笑いながら「早朝メニューなのでありません」といういたってまっとうな答えが返ってきた。
どんな答えが返ってくるかは初めからわかっていた。
でも、食べたかったなぁ。「食べたい時が美味しいとき」っていうじゃありませんか。
仕方がない、翌朝、自宅近所の「老家老餅」に行って油条と豆腐脳を食べましたよ。美味かったなぁ・・・。
参考にこのお店のメニューにあった油条と豆腐脳の値段を書いておくと、
「国宴小油条」(1根)1.5元
「豆腐脳」3元。
このメニューによって「豆腐脳」には、「川味豆腐脳」つまり四川風味(辛い)の豆腐脳があることを初めて知りました。ちなみにお値段は3元。
油条と豆腐脳のことはこのくらいにして、西方向に歩みを進めます。
超市の西隣は理髪店。
味わいのある看板が入口の脇に立てかけられていました。
「金楽福美髪工作室」というのがこのお店の名前。
2013年の夏に見かけたときには看板は店の入口上部にかけられていました。
時間を現在に戻して、お次は理髪店の隣です。
民国風味ムンムンの建物。
建てられた当時はどんな方が住んでおられたんでしょうかね。
玄関にちょこんと置かれた椅子がかわいらしい。
ずいぶん手は加えられていると思うけれど、魅力的なアーチ型の窓。
そして、何気なく置かれた鉢植えが、いかにも胡同らしくて、いい。
いつも思うけれど、胡同居住者には植物愛好家が多いのです。
それにひきかえ、植物名やその種類を知らない自分が情けない。
愚痴はほどほどにして、さらに進むと・・・
こちらは9号院。
玄関の上に「光栄之家」と書かれたプレートが貼られていました。
烈士や病没した軍人家庭、解放軍の軍人さんのいる家庭、退役した軍人さんのおられる家庭が居住していることを示しています。
お次は11号院。
だいぶ彫り飾りが削り取られていますが、門墩(メンドン)がありました。
貴重な遺産、文化財、門墩。
これからも大切にしていただきたいなぁ、と思います。
どんどん行きます。
かわいらしいハンガーを見つけた。
うしろには、このハンガーにぴったりのかわいらしい「福」の一字。
しかも逆さまの「福」。
福がやってくる。そんな願いがこもっています。
福の字が逆さま(福倒了)で、福がやって来る、幸福になる(福来到)を意味してるんですが、「倒」と「到」が同音「ダオ」なんですね。
さらに進むと、おおぉぉぉ、蔓巻用の棚!!
近づいて見て、驚いたり感動したり。
なぜってありあわせの木の棒を利用して造ったものではなく、その造作があまりにも本格的なので。
この蔓性植物用の棚は、胡同における素敵な夏の風物詩の一つ。道行く人たちに涼しい緑陰を提供する優れもの。
やっぱり違うんだよね。同じ棚でも造りが違う。
この胡同は、新中国が成立する以前は花街の一つとして有名なところで、現在は観光客が訪れるから。
棚の下に佇むと気持ちがいい。
高原の爽やかな微風が吹いているような気がするから不思議だ。
でも、今年はおかしい。35度以上の気温の日がだいぶ長く続いたし、湿度だってずいぶん高くなったんじゃないかと感じている。
ますます北京やその周辺の緑化を進めないと。
植物は心に潤いを与え、心を豊かにしますね。
この胡同の名前について胡同関係の本を調べてみると、二つの説があったので報告させていただきます。
明の時代の末、この胡同内に韓さんというお金持ちの寓居があり、邸宅内の庭園に大きな池があった。そこで人々はその池を韓家潭(ハンジァタン)と呼び、その呼び名が後の胡同名になった。
現在名の韓家胡同になったのは1965年の地名整頓時から。
これが一つ目で、もっとも目にするのが多い説。
もう一つ。
もとは「寒葭潭」と書いた。読み方は「ハンジァタン」。
清代後期、内閣学士の韓元少という人がこの胡同内に住んでいたことがあり、そこで「韓家潭」になったというもの。
ちなみに、『古都北京デジタルマップ』中の、清の乾隆15年(1750)頃に描かれた「乾隆京城全図」を調べてみると「韓家潭街」と書かれてあり、当時「韓家潭」に「街」という一字がついていたことがわかった。
さらに進むと、服装加工店。
店内では女性がせっせとお仕事中。
ミシンの前で忙しそうだったので、さすがに中に入って作業中の写真撮影は遠慮しました。
胡同に似合う可愛らしい電動三輪車。
ここで続けて、もう少しこの胡同について書いておくと以下の通り。
先にこの胡同が昔花街の一つとして有名であったことを書きましたが、民国18年(1929)の社会調査によると、当時の北京にはちゃんと役所に届出のある一等妓院(清吟小班)が45軒あった。
胡同名と妓院数を挙げてみると次の通り。順番は一等妓院が多かった順です。
韓家潭 12
百順胡同 11
石頭胡同 9
陝西巷 7
王廣福斜街 3
大森里 2
東皮庫 1
合計45軒
この年の統計を見ると、一等妓院が韓家潭に一番多かったことがわかります。また、妓院には一等から四等まであったけれど、当時、韓家潭、百順胡同、陝西巷には一等妓院しかなかったことがわかりました。ただし、これはあくまでも届出のあったものに限ります。
ついでに、当時の北京における妓院数と妓女数を書いておくと、妓院332軒、妓女2752名。もちろんこの数字も届出のあったもの。
上の調査とは違うものなのですが,さらに韓家潭の妓院について調べてみた。もちろん、どれも役所に届出があったもの。
先の調査から時代が下って、民国30年。
北京には一等妓院が27軒。その内、韓家潭には7軒ありましたよ。
上の調査結果と同じく一等妓院は韓家潭が一番多かったようです。
先の調査とは違い、幸いこちらには妓院名が書かれていて、その7軒の妓院名をあげると次の通りです。
星輝閣、春艶院、満春院、明花院、
留春院、環翠閣、美仙院 (以上7軒)
どれもこれもいかにも妓院らしい、すごい名前ばかりで呆れるのを通り過ぎて感心してしまった。
ちなみに、民国30年(1941)、この記事による北京の妓院数と妓女数をあげると妓院263軒、妓女数2597名。
二層の洋風建物がありました。
高級外車を洗車中のご夫婦。
東京から北京に初めて足を踏み入れたのは1990年。
今も北京の道路は広いけれど、当時の北京の幹線道路の広さには驚愕した。
なにせ、走っているクルマの量がまったく違う。クルマ少なく、道路ガラガラだったと言ってもいい。自転車が多いといっても、それは通勤時間などの早朝や帰宅時刻。歩いていると目の前にただっ広い道路とでっかい青空がどこまでもあったのを覚えている。走っている車の中に何十年も前に東京でよく見かけたオート三輪があったのには「うわぁー、今でも走ってるー」って感動した。
北京の繁華街を少し離れると野菜や果物なとを積んだ荷馬車がのんびりと歩いているのを見かけた。今は高層ビルが林立する街を高級外車がわんさか走っている。
時代は変わった。北京の街を歩いていて時にふとそんな感慨にふけることがある。
こちらの建物は20号院。
玄関の中を見ると年季の入った素敵な木製の階段があった。
昔、どんな用途で、どのような人たちが暮らしていたのか知らない。
でも、時代をこえてこの階段を多くの人がのぼったり下りたりしたことだけはまちがいない。
歴史を感じさせる階段に酔っ払ってしまった。
この階段を見ているといつのまにか楽しい夢の世界をさまよっているような気がしてしかたないんですよ。
こんな自分はもうほとんど病気だよね。
でも、まだ大丈夫か、自覚症状があるから。
《参考資料:次回に掲載いたします》