北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第243回 北京・紅燈幻影《朱家胡同(前)》

今回は朱家胡同(ZhujiaHutong/ヂュージアフートン)におじゃましました。



当日は、大柵欄西街沿いにある北出入口から入りました。




朱家胡同は、かつては二つの地名に分かれていました。


明の時代、朱家胡同と留守衛営。
清の時代、朱家胡同と留守尉。
民国期から1965年の地名整頓時まで、朱家胡同と留守衛。
1965年以降、留守衛が朱家胡同に編入され、名称が「朱家胡同」に統一され、現在に至っています。


ならば、朱家胡同と留守衛(あるいは留守尉)の境目はいったいどこにあったのかということが気になりますが、その点については現在のところ不明。


とはいうものの、この境目について考える場合の一つの手がかりともなればと思い、次に民国期に発行された北京地図(複製)を掲げてみました。



使用した地図は、『最新北平全市詳図』(中華民国二十三年四版、北平西単牌楼迤南建設図書館発行)。


赤丸の中が「朱家胡同」。その下、赤丸の一部と重なってしまいましたが、「留守衛」と書かれています。


なお、「留守衛」とは、遼金の時代、禁衛営兵の駐屯地だったそうです。




次の写真の手前のお宅の住所は大柵欄西街。
南隣の庶民的な「超市(スーパー)」辺りからが朱家胡同。



国慶節も数日後ということで国旗が掲げられています。



北出入口からほんの少し歩いたところに、玄関脇に「coffe lounge」と書かれた看板。以前は店名が出ていたのですが、現在はありませんでした。



coffeeという言葉に誘われ、ついつい入ってしまいました。




お店の名前は「Berry Beans」。


中庭沿いには、ブティックやガラス張りの喫茶室。



当日は屋上でコーヒーをご馳走になることにしました。



少しですが、周囲の風景をご覧いただきます。





今回ご馳走になったのはカプチーノ。
胡同を歩くだけでハートに火が点いているのに、今回はカプチーノと屋上で観た景色で、わたしの心は爆焼して楽しさ激増。




お目出度い絵模様のレリーフ。松鶴延年。


ここ数年の内に胡同内でよく見かけるようになった消火栓。


鑫珠佳賓館と観光客。


賓館を通り過ぎると気になる二階建。


朱家胡同4号院。

民国18年(1929)の社会調査における、朱家胡同と留守衛にあった二等妓院(茶室)と三等妓院(下処)の軒数は次の通りです。


〇二等妓院(茶室)  
        朱家胡同     2軒。
        留守衛          3軒。
〇三等妓院(下処)
         朱家胡同      5軒。
         留守衛          2軒。


ちなみに、日本占領時(1937-1945)の朱家胡同には、地元の人たちが「花烟館」と呼んだ「正陽膏店」という妓院を兼ねた大烟館(アヘン吸引所)があったそうです。


「花烟館」とは、一般的に若い女性が接客をつとめる大烟館を指し、ここでは食事やゲームなども楽しむことが出来たそうです。


4号の玄関脇。


雰囲気たっぷりの取っ手。


その対面には、春聯。



よく見たら玄関上に「光栄之家」というプレート。

光栄之家。烈士や病没した軍人家庭、解放軍の軍人のいる家庭、退役した軍人のおられる家庭が居住していることを示しています。



新升(昇)賓館という旅館がありました。


新升(昇)賓館!?


八大胡同関係の本の一つに「新升旅館」という宿泊施設の写真が掲載されており、その写真の下には「朱家胡同内原三等妓院旧跡」と書かれていました。名前が類似しているのは単なる偶然か?



新升(昇)賓館の南脇には、東西に走る路地。
名前は「青風巷」。


さらに南へ、と思ったところへ女性がお二人。
その理由はともかく、若い女性による胡同探索が近頃増えているので
はないか。
胡同を歩いていての実感です。


すぐ右手のお宅の玄関の上には・・・



これって、風水で使う道具ではないでしょうか?


家の中から数人の大きな話し声が聞こえてきます。中は確認しなかったのですが、なにやらゲームの真っ最中だったような。看板は出ていませんが、ひょっとしてここは棋牌室だったのかもしれません。


この胡同の南端が見えてきました。



こちらは41号院。


41号院の南隣。


朱家胡同45号院。



以前は「朱家胡同45号茶室」と書かれたプレートが玄関脇に貼られていました。


「茶室」とありますので、こちらは二等妓院ということになります。



こちらの茶室の名称は「臨春楼」。


「臨春楼」という名称とは裏腹に、妓院に身を寄せた妓女の中には貧しさゆえに、生きていくために家族のために己の意思に反して己の春を売らざるをえなかった乙女達が存在していました。


「臨春楼」の前には花壇。


「草花有生命」。


「臨春楼」を後にし、南端を左折すると道は東方向にのびています。


只今お昼寝中。国慶節を数日後にひかえた静かな胡同の昼下がり。


朱家胡同はもう少し続きます。

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