北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第273回 胡同回憶・南八宝胡同 (附・沸騰する南八宝胡同)

南八宝胡同(Nanbabao Hutong/ナンバーバオ フートン)


蔓性植物のように逞しく壁を這う電線に美しく彩られた南八宝胡同の胡同牌。

撮影2018年5月下旬



当日は、蘇州胡同沿いの北出入り口からのスタートでした。撮影は上と同じく2018年5月下旬。
南端は船板胡同沿いになっています。


前方に「旅館」という看板が見えています。
厚かましいお願いで恐縮ですが、この看板を覚えておいていただけたら嬉しいです。


シンプルで分かり易い看板。


旅館の住所は、南八宝胡同4号。



玄関を入って右側にフロント。
挨拶を済ませて、さらに奥へ。



入ると二種類の部屋がありました。


南側(右)は螺旋階段を使って二階へ。
それに対して、北側は四合院住宅でよく見かける平屋です。


当日は満室ということで、残念ながら部屋の中は見学できませんでした。

反対方向から。


南側の建物。


二階部分。


南側建物の一階部分。


奥から玄関方向。


旅館をあとに、さらに南へ。


前方には屋外でお食事中の方々。
静かな路地、楽しい食事、弾む会話。


食しておられるのは、水餃子。


ドアに貼ってあったメニュー。(価格は2018年のもの)

どれもこれも美味そうなのですが、我慢、がまん、ガマン。
一皿20個くらいは、ペロリ。
でも、ここで食べたら体が重くなって歩けません。


餃子屋さんの南隣にもお店が・・・。南八宝胡同3号の1。

うえの二店舗も覚えておいていただけたら、うれしいです。


思えば、先の旅館といい、上の二店といい、お店の名前が分からない、しかも上の二店は看板さえ出ていない。(大きな声では言えませんが、何か訳ありなのかも・・・。)



静かな路地をじっくり、のんびりと歩く心地よさ。



次の写真に見える空調の室外機には目隠しが施されていますが、以前おじゃました2014年の時には室外機の会社名がむきだしでした。




ここにも一軒のお店。どうやら肉屋さんのようです。


すぐ上に「静かな路地をじっくり、のんびりと歩く心地よさ」と書きました。
しかし、それが、2014年に歩いたときは、そうじゃなかったんだから、今から思うとまるで夢のようです。その時の写真は後ほどご覧いただきます。


次の写真の左端のお宅は南八宝胡同19号。この番号を覚えておいていただけましたなら光栄です。それから、右端の玄関もお願いいたします。


静かな路地が続きます。


右手に路地。こちらは小報房胡同。

「海友酒店」という看板。酒店はホテル。2014年に来たときは「招待所」という看板でした。看板の向こうに写っているのは、お子さんたちの下校時間の来るのを待っている関係者。学校名は「東交民巷小学」。こちらは分校で本校は旧公使館街の東交民巷。


ちなみに、胡同会の皆さんと2014年に歩いたとき、南八宝胡同におじゃましたのは、この出入り口からでした。


お父さんが、大あくび。

こちらが会釈すると、笑いながら会釈を返してくれました。
あくび中に大変ご無礼いたしました。


すぐ脇の玄関。


こちらは南八宝胡同16号。



湾曲ぶりが絶妙で、うっとりしてしまった。


南端の船板胡同が見えてきました。


船板胡同から北方向を撮影。

正面から路地の奥が見えないところが肝。
正面奥の玄関がまるで魔除け用の影壁のようです。
これは北出入り口から見た場合もいえることで、この胡同は北出入り口からも南出入り口からも胡同の奥が見えないようになっている。果たしてこれは偶然かそれとも計算されたものか・・・。



続けて、時計の針を2014年の秋にもどして、2022年の今からするとまるで夢の中を歩いているような沸騰中の南八宝胡同をご覧いただきます。


前にも書きましたが、写真は小報房胡同の出入り口辺りから始まります。

さまざまな店舗が並ぶ南八宝胡同。



こちらは前にご覧いただいた南八宝胡同19号


次の写真の左に見えるドア。このドアはこの南八宝胡同19号
の並びにあったもの。



食堂が軒を連ねています。


角度をかえて撮ってみました。



2014年当時、空調などの室外機には、まだ目隠しがほどこされていませんでした。


写真右奥に「旅館」が見えてきました。
当記事の始まりでご覧いただいた「旅館」です。

上の写真に男性がいます。2018年の写真に写っている水餃子屋さんはあの辺り。


前方を横切っているのは蘇州胡同。右折しますが、曲がり角に胡同牌が貼られています。


当時は電線に彩られていなかった胡同牌。


そして、蘇州胡同へと進みました。(緑色円内に当時の南八宝胡同の胡同牌)


【南八宝胡同の名称について】
清代の乾隆15年(1750)頃に描かれたといわれる北京城の地図――乾隆京城全図を見ると、
当時は「巴巴胡同(ババフートン)」と呼ばれていたことが分かります。「巴巴(ババ)」とは日本語で「汚いもの」を指す言葉(幼児語)、あえて書けば「うんち胡同」とでも呼ぶのでしょうか。ひょっとしてゴミ捨て場などがあったのかも。
その後、この名称は雅化して「八宝胡同(ババオフートン)」(たとえば清末・朱一新編纂の『京師坊巷志稿』)となり、その後さらに方角を示す「南」が頭につき、「南八宝胡同」になり現在にいたっています。


中華民国23年(1934年)4版『最新北平全市詳図』欄外の「北平街巷更名一覧表」を見ると、南八宝胡同がそれ以前には「八宝胡同」と呼ばれていたことが分かります。

詳細は省略しますが、上のオレンジ色の矢印に「八宝胡同」とあり、内一区には「八宝胡同」という地名が三ヶ所あったことが分かります。緑色の矢印が変更後の名称。三箇所の「八宝胡同」は「東八宝胡同」「西八宝胡同」そして今回ご覧いただいた「南八宝胡同」という名前に変更されました。


参考に次の地図(中華民国25年(1936年)5月出版『北平市内外城分区地図』という地図の「北平市内外城各区改名街巷一覧表』)もご覧ください。上の地図よりやや詳しく説明されています。


胡同と日本人との関係を調べていたら、日本占領期の八宝胡同には次のような日本関係の店舗などがあったことが分かりました。ただし、この場合の八宝胡同とは、不明瞭な点がありましたが地理的に見て現在の南八宝胡同をさしていると思われましたので、あえて以下に書き出しておきました。なお、現在の番号と同一でない可能性があり、その点についてもご注意ください。


村里理髪館(理髪)・・・八宝胡同2号
白築洋行(土木建築)・・・八宝胡同6号
石田亭(料理)・・・八宝胡同10号
富士商会(金銀細工)・・・八宝胡同甲11号
福島旅館(旅館)・・・八宝胡同14号
田原商店(綿)・・・八宝胡同19号
東魯公司(土木建築)・・・八宝胡同19号
北鮮旅館(旅館)・・・八宝胡同21号
青林堂(菓子)・・・八宝胡同23号
萬歳家(飲食店)・・・八宝胡同(番号は無記載)
以上です。


日本人関係の理髪店や旅館、菓子屋などがあった南八宝胡同。きっと多くの日本人がこの胡同を訪れたに違いありません。いったいどんな日本人が訪れたのか。そんなことを想像しながら上の店舗の記録を写していると再びこの胡同を歩いてみたくなった。

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