第237回 北京・紅燈幻影《百順胡同 その二》
日本占領下、日本の妓院だったのでは、といわれる18号院をあとにすると、久しぶりに41号院。
41号院とは4年ぶりの再会。
当時は外壁にタイルなども貼られていなかったし、門扉やその周辺も現在とは違っていた。
当時、玄関上部に五つ星が貼られていた。
しかし、現在はどうかわからなかった。
伝統的な門扉と現代風とのコラボだ。
門扉の下部に取り付けられた護門鉄がたまらなく可愛らしい。
41号院をあとにさらに西方向へ。
43号院。
45号院。
47号院。
47号院の蔓性植物の見事な繁茂ぶりは、夏の胡同の風物詩のひとつ。
そうして、その西隣は昔妓院だった49号院。
4年前。
植物の強さに驚く。
時計の針を現在に戻して、玄関。
玄関脇に貼られたプレート。
「百順胡同49号茶室」とありますが、“茶室”とは、二等妓院のこと。
ただし、胡同関係の本の中には、この建物は一等妓院(清吟小班)だったという記事もあることを心に留めておいてよいかもしれません。
たとえば、李金龍『八大胡同』(2000年10月、中原農民出版社)には、写真入りでこの建物が紹介されており、その写真下には「一等妓院鑫鳳院旧跡」と書かれています。
この一等妓院「鑫鳳院」は、前回取り上げました昭和16年(1941年)11月出版の『北京案内記』(新民印書館)でも、その名称だけですが紹介されていました。
当時の職人さんたちが、見よう見まねで造ったのではないでしょうか。
たとえ模倣であったとしても、外壁に見られる植物模様には当時の職人達の並々ならぬ意気込みが感じられ、その熱量の高さに圧倒されてしまいます。
おじゃましてみました。
西側。
当時は木製だった階段や二階の廊下沿いの手摺りは金属製に姿をかえています。
北側。
東側。
当時の面影を今にとどめる垂花木楣。
ご参考に妓院(一等妓院)におけるお遊び料金などを次に書き出してみました。
馴染みの客を「熟客(シュークー)」、そうではない客を「生客(ションクー)」といい、泊りは「住局(ヂュージゥ)」といい、かかる費用は12元。
泊りは「夜度(イエドゥ)」とも。
「打茶囲(ダーチャーウェイ。茶などを呑みながら雑談に花を咲かせる)」は2元。
「打牌(ダーパイ。カード、マージャンなどのゲームに興じること)」は22元。
妓院での宴会は、正席一卓53元。擺酒(バイジウ)というそうです。
「打牌」後の宴を「牌飯(パイファン)」といい、「牌飯一卓」のお値段は22元。
その他、歌唱や楽器演奏を頼む場合には別料金が必要となりますのでご注意ください。
妓女を外へ招び出すことを「叫条子(ジァオティアオズ)」といい、外城叫条子の場合は2元。
内城叫条子の場合は4元。
飯館へ招ぶことを「飯荘条子」、妓院へ他の妓院の姫を招ぶのを「過班条子」と呼んだそうです。
その他、人力車などの交通費代は別料金になっております。
ついでと言ってはなんですが、二等妓院(茶室)での「住局」は8元、「打茶囲」は2元、三等の下処での「住局」は5元、「打茶囲」は
1元が「普通」なのだそうです。
《参考資料:昭和16年(1941年)11月出版『北京案内記』(新民印書館)》
上記『北京案内記』によると、まだ街灯がなかった時代、妓院の門内には小さな白紙の灯籠(日本では提灯)が累々と吊り下げてあり、客の帰る時には火の点じられた灯籠が帰る客に渡されたそうです。
火のともる灯籠とともに49号院をあとにすると理髪店。
理髪店のシンボルマーク、動脈と静脈をあらわすといわれる赤と青がくるくると回っていました。
現在はお店によって白と黒のものも見かけるようになりました。
このシンボルマークも4年前に比べると新しくなっていたのが印象的でした。
4年前のシンボルマーク。
理髪店手前から西方向を2015年9月に撮影。