北京·胡同窯変

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第244回 北京・紅燈幻影 《朱家胡同(後)》

朱家胡同南端から東方向を見た景色。



炎のような赤い花



サルビア。



サルビアの蔭にちょこんと置かれた幼児用の二足の小さな靴。



サルビアの花言葉。
家族愛、燃ゆる思い、知恵、全て良し。




少し南へ行くと気になる建物がありました。


こちらは朱家胡同16号院。



玄関内をほんの少し行ったところで右手に突然階段が現れたのにはビックリしました。



さらに奥へ。


造作から判断して、昔の妓院旧跡の可能性たっぷりですよね。



前回、民国18年(1929)の社会調査によって、当時の朱家胡同と留守衛には二等妓院(茶室)と三等妓院(下処)合わせて12軒の妓院があったことを確認しましたが、この16号院はその内の一軒だったのかもしれません。




本来は二階建であったところに建増しされたハト小屋。


今回は、かつて北京にあった妓院のなかの「二等妓院(茶室)」に身を置いていた妓女たちの年齢と人数を民国18年の社会調査から次に書き出してみました。


妓女年齢        妓女人数
16歳               14名
17歳                98名
18歳                84名
19歳                61名
20歳                57名
21歳                48名
22歳                38名
23歳                31名
24歳                32名
25歳                25名
26歳                18名
27歳                10名
28歳                 4名
29歳                 5名
30歳                 2名          
31歳                 1名
総数                528名


日本占領下の昭和十六年(1941)十一月に発行された『北京案内記』によると、一等妓院(清吟小班)の妓女は十六才以上、十八、九才までの者が多く、人気のある時代は二、三年に過ぎなかったようです。


さらに同書はこんなことを書いています。
「そこでこの間に適当な人を得て落籍されない限り、茶室へ格を下げても厭な商売を続けねばならない」と。


ちなみに、当時の妓女の中でも「紅姑娘(売れっ子)」の場合、その落籍価格の相場が「一萬元」ほどだったことがやはり同書によってわかりました。



いつものことなのですが、蔓性植物の強さ、逞しさには驚かされます。



タチアオイ(立葵)か?


花言葉は「平安、熱烈な恋、高貴、威厳、大きな志」。



対聯は剥がれかかっていますが、横批はしゃきんとしています。


書かれているのは「萬象更新」の四文字。


「萬象更新」の前辺りから西方向を振り返ってみると、絶妙なカーブ。

こんな雰囲気たっぷりのカーブのなかを歩いていたなんて、感激。


右手のお宅。


こちらにも「光栄之家」のプレート。


家沿いの花壇。


次の写真の建物は「光栄之家」のプレートのある前辺りのもの。
写真右側の道が朱家胡同。この辺りが朱家胡同の東端になります。
左側の道は棕樹斜街(Zongshuxiejie/ゾンシューシエジエ)。


いわくあり気な建物ですが、この建物の住所。


次の写真は朱家胡同の東端から東方向を見たもの。
胡同名は大力胡同(Dalihutong/ダーリーフートン)。


今は昔、もちろん棕樹斜街にも大力胡同にも妓院がありました。


妓院旧跡探訪はまだまだ続きます。

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