北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第235回 北京・紅燈幻影《西壁营胡同》

西壁营胡同(XibiyingHutong/シービーインフートン)。



当日は胭脂胡同沿いの東口からおじゃましました。
というより、この胡同はここからしか入れないのです。


日本風に表現すれば「ぬけられません」。


そうなんです、この胡同は、西の端が袋小路になっているのです。


と、いうことで早速歩いてみたいと思います。


いきなりトイレ!

公共トイレ。


「中をみたいなぁ」。
そんなロマンに満ちたワガママな夢を叶えてさしあげたいと思ったのですが、当日はご使用中の方が男女共いらっしゃったのでひかえさせていただきました。


その代わりといってはなんですが、この胡同の簡単な沿革を。
明の時代には「皮條胡同(PitiaoHutong/ピーティアオフートン)。
明の時代からあったわけですから、かなり古い。
次の清の時代には「西皮條營(Xipitiaoying/シーピーチィアオイン)」となり、民国期には「西壁營(Xibiying/シービーイン)」と改名。そして、新中国成立後の1965年に現在の「西壁营胡同(XibiyingHutong/シービーインフートン)になりました。



公共トイレの先に、ただいま解体中のお宅が。



いったいどうしたんでしょうか?
違法建築だったためか、それとも単なる改築のためか?




出入口に植物が置かれていると気持ちも爽やか。


真新しい門扉のお宅。


どんどん行きます。



玄関脇に「双喜文字(双喜紋)」が貼られていました。


双喜はもともとは「二つの重なった慶事」を表わし、この文字には喜び事が重なるようにという願いが込められています。


現在は、縁起物として結婚の際に貼られることが多いようです。
この院内に新婚さんが住んでいらっしゃる、あるいはこれから新婚さんが誕生するのかも。


新婚さんから元気を頂戴して、さらに行きます。



こちらは双喜文字ではなく、可愛らし「福」の字が玄関上に貼られていました。



瓦の模様を確認すると、「龍」の模様。


龍関連の文章を読んでいたら面白かったので次に書き写してみました。筆者は歴史学者の
故・宮崎市定さんです。


“(前略)龍はそもそも想像上の動物だから、爪の数などは何本でもかまわない。そう言ってしまえば至極簡単で、それでも通るのである。実際に中国古代の壁画や器物などに現れる龍の爪は、三本だったり四本だったりして別に一定の規則はなかった。ところが、中国では宋以後、近世的な天子独裁政治が始まると、だんだん龍の紋様は天子に独占されるようになり、それが龍の形状の上にも影響を及ぼすようになってきたのて゛、そう簡単にはすまされない、話が大分ややこしくなるのである。


(中略)宋代になって、天子の独裁権力が確立されると、人民は勝手に龍の紋様を用いてはならぬという禁令が初めて発布されたが、それは北宋末の哲宗皇帝の元符年間(1098-1100年)のことだという。もっとも臣下の中でも大臣等には特別に龍の紋様が許されるが、その龍は降り龍であり、昇り龍の紋様は天子以外は何人も用いることを許されない。そして天子の龍は二角五爪、すなわち二本の角と、五本の爪という形に定まったのも、この前後からであるらしい。
しかし龍のように古くから民間にも親しまれてきた紋様を、一切人民に用いさせないという禁令を厳重に実施しようとすると、つい人民との間につまらない所で摩擦が起こる。おそらく実際には政府の方でも手心を加えて、二角五爪の龍でなければそのまま見逃していたのであろう。次の元代になると法令に明文をもって、民間に使用を禁止する龍とは、二角五爪の龍だけのことだと、はっきり規定するようになった。


(中略)清朝に至って、龍の解釈はいよいよ狭いものになった。龍とは五本爪の龍のことだけで、それ以外は龍の形をしていても龍ではない、それは蟒(うわばみ)だ、というのである。この解釈に従うと、日本でお寺の天井や、掛物にかかれている龍は、ほとんどすべて四本爪以下のものばかりであるから、龍に似て実は龍ではなく、龍に似た蟒だということになる。


中国で天子の用いる龍の形状が五本爪ということにきまると、民間で龍の形を描く時には、いきおい四本爪以下のものになる。おそらくそれぞれの地位に応じて爪の数を加減し、下へ行くほど数を少なくして、三本爪や二本爪の龍を描いていたのであろう。中国に近く、従って中国思想に染まることの深かった朝鮮では、何事によらず中国より一段低い所で遠慮していねばならなかったので、国王の用いる龍の形も四本ときまり、民間では三本爪以下しか許されなかったようである。


そこで中国や朝鮮から影響を受けて龍の形を学んだ日本においては、一般的に爪の数がすこぶる少なく描かれている。日本には別に面倒な禁令などなかったようであるから何本の爪を描いてもよさそうなものだが、中国朝鮮の民間に行なわれる龍の形を見て、これが本当の龍の形だと思いこんでしまったのであろう。私の知っている限りにおいては、豊臣秀吉が明の万暦帝からもらった、日本国王に封ずるぞという詔勅の巻物の表装の龍が五本爪であるが、これは明の天子の内府で製造されたに違いないから五本爪なのは当然である。その外には五本爪の龍は見当たらない。清朝時代の用語でいえば、みな蟒(うわばみ)に過ぎぬのである。(後略)” (宮崎市定「龍の爪は何本か」、『中国文明論集』岩波文庫)


中国ではもちろんのこと、日本国内でも見かける龍の絵。いったい爪の数は何本か?
興味をお持ちの方は、ぜひご確認を。


可愛らしいカーテン。


101匹ワンちゃん、大行進。




小さいお子さんがいらっしゃるのかもしれませんね。


101匹ワンちゃんに負けずにわたしも行進だ!!




「吉祥如意」と書かれた横批。
春聯と同じく一年間貼られています。雨風でどうしたって傷んだり、剥がれたりしますよね。

剥がれそうになっている「吉祥如意」。でも、そんなこと気にしない、気にしない。



休憩中の警備員さん、スマホ見てました。



ところで、こちらは10号院。



門牌が隠れてる。
でも、気にしない、気にしない。


さて、この10号院、かつてあの「臭豆腐」で名高い王致和さんの仮住まいだったことがあるそうです。


王致和の臭豆腐、その始まりは古く、清の康熙八年(1669)。かの西太后も好んで食していたとか。


独特のにおいを発散する、根強い人気者、王致和の臭豆腐。

臭いは美味い!? まだの方は一度お試しあれ!


また、こちらには、京劇の俳優で、武丑(ウーチョウ)役の王福山さん(1896-1960)、武旦(ウータン)役の貫紫林さん(1872-1949)、老生(ラオション)役の貫大元さん(1897-1969)が暮らしていたことがあるそうです。


ちなみに、
「丑(チョウ)」とは、道化役で、鼻の上部と眼のまわりだけを白く塗っています。
「武丑(ウーチョウ)」は、武芸のできる道化役。甲冑をだらしなく身につけ、立ち廻りも滑稽な身振りで演じます。


「旦(タン)」とは、女性役で、女形が演じます。
「武旦(ウータン)」は、武芸にすぐれた婦人の役。二本の槍をあやつり、曲芸並みの立ち廻りを見せる。活動に便利なように褲子(クーズ。ズボン)を着用。


「生(ション)」とは、男性で、善人、癖のない人物。隈取はしない。
「老生(ラオション)」は、長い鬚をつけますが、鬚は年齢によって黒、胡麻塩、白と分けられます。忠臣、烈士、学者、長老といった役柄。京劇の中では、この老生役は最上位に
おかれているそうです。


臭豆腐から元気をもらって、まだまだ行きます。






玄関奥に「福」あり。



玄関奥に「福」の字の貼られたこちらのお宅は13号院。
門牌がかなり古く、いい味を出しています。


名称にご注目。


その対面のお宅。



門牌は12号院。
13号院とは違い、名称が「西壁營」になっています。


振り返ってみると、この胡同の胡同牌は「西壁營」となっていました。ということは、12号院の「西壁營」と書かれた門牌が正統派ということなのか?
謎だ。


とりあえず今回遭遇してしまった「謎」はそのままにして、さらに行進。
とはいうものの、あと少しでこの胡同の西端に到着です。




取り付けてあった説明板に、この胡同内にはかつて清代に建てられた「財神廟」と「白衣庵」という廟宇があったと書かれていました。


でも、いったい「財神廟」と「白衣庵」は、どこにあったのか?その点についての記述が説明板にはありません。


そこで、いろいろ調べてみたのですが、地図を調べていて見つけましたよ。地図は『北京内外城詳図』(著作者、王華隆)という、民国二十九年(1940年)頃に発行されたもの(複製)。


赤丸の中がそれ。
この地図を見る限りでは、この胡同の東口附近の北側に「財神廟」、西寄り南側に「白衣庵」があったことがわかります。寺廟を表わす「卍」マークまで載っています。


ちなみに、赤丸の中の「白衣庵」の左方向(西方向)にも同名の「白衣庵」があったこともわかりました。


財神廟や白衣庵の場所も一応わかった。まだまだ行きます。




胡同で見かける幼い子供たちの絵が素晴らしい。


ひまわりと女の子、そして大きな花。


これはなんでしょうか?
これは、上にのびる建物。

入口や大きな窓が描かれています。今の子供の目に映る風景の一つ。


その建物の前(?)で遊ぶ小さな子供たち。





門の屋根に置かれた吻獣。避邪の働きをするといわれています。


狭い路地。豊かな世界が広がっていました。





突き当たりは21号院。

地図などでは、この胡同はこの突き当りまでの場合が多い。


でも、実際はもう少し行けそうです。
路地に誘惑されて行ってみました。


さらに狭い路地。



路地の奥にサンタさんを発見!!
真夏、地図には載っていない細い路地の奥でサンタさんに出遭うなん思ってもみませんでした。


サンタさんも護符として貼られています。


まだ時期は早いですが、メリー・クリスマス!!

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