第277回 北京・紅燈幻影《小力胡同》(前)
およそ3年ぶりに北京の旧花街へ行ってまいりました。
前の晩はまるで遠足前の小学生のように興奮してよく眠れませんでしたよ。
おじゃましたのは、2022年9月下旬。
当日は秋晴れで、北京の胡同はいっそう輝いていました。
小力胡同(Xiaoli Hutong/シアオリーフートン)。
当日は大力胡同(Dali Hutong/ダーリーフートン)沿いの南出入り口からのスタートで、終点は大柵欄西街です。
スタートは「大力胡同」沿いの南出入り口(赤い矢印)。終点は「大柵欄西街」という繁華街。
陽を浴びる寝具たちを見ていると、こちらのからだの中まで秋の陽光が優しくしみとおってくるような心地よさ。
名称の沿革などに触れると次の通りです。
清の後期、小李紗帽胡同(Xiaolishamao Hutong/シアオリーシァーマオフートン)。
「李」は姓で、「紗帽」は高級帽子。李さんという帽子屋さんがあったことが名前の由来だと言われています。李さんは帽子作りの名人だったのかもしれませんね。
「小」は南側にあった「大李紗帽胡同(Dalishamao Hutong/ダーリーシァーマオフートン、現在の大力胡同)の「大」との対比の言葉。
小力胡同と呼ばれるようになったのは、1965年からで、「小力」と「小李」は音が似ています。
なお、古都北京デジタルマップで乾隆15年(1750)頃に作られた「乾隆京城全図」を見ると胡同名の一つとして「李紗帽胡同」という地名の記載があり、(あいまいな書き方で恐縮ですが)その場所が現在の「大力胡同」の位置と重なっていると思われることを書き加えておきたいと思います。
こちらは小力胡同25号院。
玄関上の飾りにしばし目を奪われてしまいました。
円形の瓦の一部を組み合わせて造られた花瓦頂(ファワーディン)。
前方に二層の建物。こちらは、もと妓院(妓楼)だったとか・・・。
接近してみました。
文字が刻まれていますが・・・なんと書かれていたのか。
よく眺めてみたものの、結局判読できず。
帰宅後、胡同関係の本や中国のブロガーさんの記事を調べてみると、「蕊香楼(ルイシャンロウ)」と紹介されているものと、「蕊春楼(ルイチュンロウ)」と書いているものとがありました。はたして、どちらが正解なのか、ここではひとまず問わないことにしておきたいと思います。
それはそうとして、ぶらさがる瓢箪が素敵なんですよ。
少し北へ移動すると、胡同の風物詩、道行く人に木陰を提供するツル巻き用の棚。
まるで、ちょっとしたお祭り風景。提灯まで取り付けてある念の入れように脱帽です。
国慶節が近いためでしょうか、可愛らしい国旗も並んでいます。
そして、見逃せないのは人形たちのお出ましです。
胡同を舞台とした、素敵な人形ショウをしばしご覧ください。
人形たちはみんな、道行く人たちのほうに顔を、つぶらな瞳を向けています。
「私たちはみんな、いつまでも君たちのことを見ているよ」。ここに並べられた人形たちは、まるでそんなことを言っているようです。
日本からも参加です。
北京でも人気のあるワンピース。
そして、花壇に取り付けてあった「愛護花草」という言葉がこちらのこころにグッときました。
昔、この小力胡同は花街という、独特の世界をつくっていました。しかし、現在の小力胡同も昔とは違った意味で独特の世界を創出しているようです。
思えば、上にご覧いただいた飾り付けには多くの壺がありました。これらの壺を眺めていると、ひょっとしてそれはこの胡同が、後漢の費長房という役人が壺の中の別天地でおおいに楽しんだという「壺中天」であることをそれとなくしめしているのかも・・・胡同は小さくて、大きな宇宙(せかい)・・・そんなことが頭をよぎりましたよ。
こちらは小力胡同10号院。
五福臨門(横批)
吉祥如意福星到
玄関の中から気になる石段が目に飛び込んできました。
こちらは昔ひょっとして妓院だったのか・・・と思って写真を。
10号院脇の植え込み。
こちらにも可愛らしいツル巻き用の棚。
可愛らしい緑のトンネルをくぐって、さらに北へ。
こちらは小力胡同6号院。
玄関脇には、胡同に欠かすことの出来ない椅子が行儀よく並んでいました。
胡同にお住まいの皆さんは植物が好き。
晴れた日には、この椅子に腰を下ろして雑談の花もおおいに咲かせます。
この辺で、わたしも椅子をお借りして休憩タイム。
なんか、コロナ自粛で体重が増えたみたいな・・・。
秋晴れの下、目の前には、緑のトンネル、ぶら提げられた提灯、胡同ならではのこんな楽しいお祭り風景がひろがっていました。
胡同ならではのあっ晴れな風景にわたしのこころは鷲づかみされてしまいましたね。