第278回 北京・紅燈幻影 《小力胡同》(後)
久しぶりに訪れた北京の胡同(フートン)でしたが、胡同には欠かせない風物詩、胡同植物園が健在で良かったですよ。
素敵な植物園を造園なさっているのは、小力胡同13号院にお住まいの方。
玄関脇を見ると、素敵な額が・・・『和為貴』。
そして、その横を見て「うわあぁぁぁっ!」
なんと、植物園に水族館が併設されてました。
小力胡同私設水族館・・・水槽のなかには大きな金魚。
「いたずらする人はいませんか?」13号院にお住まいの方にお話をうかがうと、「そんな人はいませんね」とのことでしたよ。
水槽の下には・・・人形。
ジャイアンだっ~
ジャイアン、「和為貴」だよね。
ジャイアンの前にも、水族館。
「素晴らしい」の一言に尽きてしまいました。
小力胡同の水族館は入館無料、年中無休、北京においでの際には、ぜひお立ち寄りください。世界中のお客様を小力胡同は大歓迎・・・かも。
こちらは13号院北隣りの小力胡同11号院。
その前には、やっぱり鉢植え。
さらに北へ・・・
下の写真、壁に取り付けてあるのは、共同の物干し設備のようです。
物干し設備の前の風景。
植物園が、胡同の景色にかぎりなく豊かな潤いとやすらぎをあたえています。
それはそうと、こちらは昔、妓楼だったといわれる「泉 陞楼(せんしょうろう)」。
見えるかな・・・
泉 陞楼(せんしょうろう)の「陞」の字は「昇」とも書くようです。
おじゃましてみました。
妓楼時代の名残りでしょうか・・・
垂花木眉という飾りが昔の記憶のかけらとして大切に扱われていることがわかります。
ちなみに、今回わたしが目にしたこの胡同における妓院数などを書いておきますと次のとおり。
民国18年(1929)の統計によると、この胡同には、二等妓院(茶室)が9軒、三等妓院が4軒あったことがわかります。妓院名称記載なし。(麦倩曽『北京娼妓調査』《社会学界》第5巻、1931年6月)。
時代がくだって昭和13年(1938)10月23日発行、安藤徳器著『北支那文化便覧』(生活社刊)を見ると、この胡同には、2軒の二等妓院(茶室)の記録があり、名称は、「梨香院」「華賓」となっています。
さらにくだって、昭和16年(1941)11月20日発行『北京案内記』(新民印書館刊)では、2軒の二等妓院が記録されていました。名称記載なし。※参考にしたのは、昭和17年3月1日8版。数字の出所は「北京特別市外二区稽徴所,民国30年2月現在」となっていました。
そして、もう一例。
2007年6月,肖复興『八大胡同捌章』(作家出版社)は、新中国成立一年前の1948年の記録として、次の10軒の妓院名と住所番号を掲げています。番号は1948年当時のものである点にご注意ください。
8号、名称不詳。
9号、明春院。
10号、新美楼。
12号、新升楼。※「升」は「昇」か「陞」の簡体字。
14号、華宾 楼。※「宾」は「賓」。
25号、清香院下处。※下处は三等を表します。
26号、双鳯楼下处。
27号、青松閣。
28号、鑫美院下处。
29号、永泉下处。
泉陞楼をあとにさらに北へ。
左手に路地。
こちらは以前に紹介させていただいた「青風夹道(Qingfeng jiadao/チンフォンジアダオ)。
下の写真は、ほぼ三年前の2019年の10月18日に撮ったもの。
いよいよ終点の大柵欄西街が見えてきました。
大柵欄西街沿いの北出入り口から撮影。
小力胡同(XiaoliHutong/シアオリーフートン)の胡同牌。
繁華街沿いの胡同牌は、時代の変化にあわせたモダンなデザインになっています。このプレート、いつまで続くかな、と思ったのですが、その一方で、歴史のある胡同とこういうモダンさとの取り合わせもまんざらではないな、そんなことを思いながら次の胡同に移動しました。