北京·胡同窯変

北京、胡同散歩が楽しい。足の向くまま気の向くままに北京の胡同を歩いています。旧「北京·胡同窯変」もご覧いただけたらうれしいです。https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian

第296回 北京・小紗帽胡同 ―附・昔あった日本企業や店舗など―

小紗帽胡同(Xiaoshamao Hutong/シアオシャーマオ フートン)


現在は王府井西街の一部、かつては小紗帽胡同(Xiaoshamao Hutong/シアオシャーマオ フ
ートン)という胡同がありました。


この写真は北京飯店の裏側にある霞公府街から北にのびる王府井西街の一部ですが、かつては「小紗帽胡同」という名の胡同の一部だったようだ。撮影は2023年6月6日。



:場所は北京飯店の裏側で、そこから南北にジグザグに走る胡同。


たとえば中華民国10年(1921年/大正10年)12月再版『新測北京内外城全図』(上海商務印書館発行、複製)を見ると、小紗帽胡同は赤線円内の形状をしていました。



これは新中国成立後に発行された『1950 北京市街道詳図』(亜光輿地学社出版、大中国図書局発行、複製)という地図ですが、次のような形状をしています。


そして、現在。
その形状もその長さも変わっています。


たとえば、高徳地図を見ると王府井西街の一部となり、その形状が実にシンプルなものになっているのがわかります。



このことは、百度地図でも変わりません。(画像は省略)。
ただし、上の二種の地図で「小紗帽胡同」を調べると、ありがたいことにちゃんと「小紗帽胡同」という名称とその位置が出る。しかし、実際に歩いてみると残念なことですが、そこに「小紗帽胡同」と刻まれた胡同牌はありません。迂闊にもわたしが見逃してしまったのかもしれませんが・・・。


今回はそんな「小紗帽胡同」について少し書いてみました。


清の乾隆(在位1735年~95年)の時代、抓帽胡同(ZhuamaoHutong/ヂュアマオフートン)。
清の光緒(在位1875年~1908年)の時代、小紗帽胡同(Xiaoshamao Hutong/シアオシャーマオ フートン)。


その後、民国期から現在までその名が続きます。ただし、文化大革命中に一度「人民路ニ條」になったことがありました。


なお、明の時代、この場所に「紗帽」を売る施設があったことに由来するそうです。この帽子、当時の官吏がかぶるものだったのかもしれません。



下の写真に見える建物群は、「霞公府」という名の高級マンション。


こちらの建物は「北京万豪行政公寓・MARRIOTT  EXECUTIVE  APARTMENTS・THE IMPERIAL MANSION=BEIJING」。やはり、高級マンション・アパート。



昔あった日本の企業や店舗
この胡同に昔あった日本の企業名や学校名を五例ほど次に書き出してみました。住所番地は当時のもの。


北京工務所・・・小紗帽胡同1号
出典 :『建築年鑑 昭和3年度版』中の「全国建築技術者一覧」。建築世界社、昭和3年8月20日発行。この「北京工務所」は丸山昏迷著『北京』(大正10年3月25日発行)にも紹介されているが、住所は「乾麺胡同」となっている。また、『建築学会会員住所姓名録』(建築学会、大正13年11月25日発行、非売品)も載っており、業務内容は、土木建築請負業、住所は「乾麺胡同門牌26号」。


日本鑿泉探鉱株式会社 北京出張所・・・小紗帽胡同6号
開設年月日・・・昭和12年
本社・・・東京都京橋区京橋2丁目8番地
取り扱い品目・・・鑿井工事、温泉堀鑿、各種探鉱、揚水装置、濾過装置、配管工事、一般地質調査及鑑定、地下水及温泉調査、ボーリング機各種、各種堀鑿機、各種ポンプ、各種ストレーナー。
出典:『北支向機械取扱業者調査書』(北支那開発株式会社本社事務局物資課、北支那開発発行、非売品)


森永製菓株式会社華北総代理店・瑞豊洋行北京出張所・・・小紗帽胡同10号
創立・・・昭和13年
本店・・・天津
出典:『昭和14年度版 帝国実業商工録』(帝国実業興信所編纂、昭和14年11月30日)


便利屋・・・小紗帽胡同10号
業務内容・・・一般用達
出典:『昭和12年版 海外商工人名録』(大阪市役所産業部貿易課、昭和12年5月7日発行)


清語同学会・・・小紗帽胡同(東端)
1903年(明治36年、光緒29年)8月に設立された支那語研究舎が、北京東単二條胡同にあった金国璞(日本で中国語教育に従事)の住居兼校舎から、1905年(明治38年、光緒31年)11月、清語同学会と改称し、移転したもの。移転した理由は、金国璞の自宅が窮屈になったためという。また、金国璞自宅付近には、清語同学会に通う学生のための寄宿舎も設けられている。1912年(大正元年、民国元年)、大日本支那語同学会と改称される。1923年(大正12年、民国12年)9月1日、大日本支那語同学会が小紗帽胡同から東単三條胡同の旧日本小学校校舎に移転。小紗帽胡同の元校舎は「12人ほど入れる学生寮」となる。


「清語同学会」についてのより詳しい情報は第295回 北京・霞公府街(増補版) ―附・昔あった日本企業や店舗など― - 北京·胡同窯変をご覧ください。



王府井西街(昔の小紗帽胡同)の一部を歩き終わって、ひと休み。


朝から暑い。
冷たいものを求めて、すぐ近くの王府井大街へ。
マックカフェーのスタンド。


青空のもと、マックカフェー、青春映画のひとコマみたいな気持ち。


朝っぱらから日差しが強烈、真夏の海って感じ。


スタンドの周りにはアジサイのプランター。
注文したのは抹茶雪冰(モーチャーシュエビン)。


アジサイの花がまぶしい。




抹茶雪冰とアジサイの花のお陰で暑さも吹っ飛び、次の場所へ。

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