第290回 北京・紅燈幻影 《王皮胡同》その3 ―南班と北班、それぞれの妓女たち―
今回も王皮胡同をご覧いただきます。
一見すると写実的ではありません。
でも、中国には下の絵のような場所が実際にあったりするので言葉を失う。
可愛らしいうしろ姿が静かにわたしを追い抜いていきました。
お出かけのようです。
この愛らしい電動三輪車は「第288回 北京・紅燈幻影 《王皮胡同》その1」で登場してくれたもの。
ワオーッ!!
ベティ‐ブープ(Betty Boop)も参加してくれました。
1930年代生まれの、人気女性。
日本では「ベティちゃん」として愛されてましたね。
王皮胡同36号院。
王皮胡同38号院。
王皮胡同40号院。
横批・・・五福臨門
上聯・・・迎新春吉慶祥和
下聯・・・賀佳節如意平安
ちなみに「五福」とは、人としての五つの幸福。
一つ・・・寿命の長いこと。
二つ・・・財力の豊かなこと。
三つ・・・無病息災であること。
四つ・・・徳を好むこと。
五つ・・・天命を全うすること。
苛酷な自然環境・人的環境の中で生きていくために必要とされた五つの希望。苛酷な自然・人的環境の中で人々はこう思っていたのかもしれません。
1、寿命なんて長いわけがない。
2、財力なんか、はなからお話にならん。
3、どちらを見ても病気だらけだ。
4、生存してるだけで精一杯、徳なんか積んでる場合じゃないから。
5、天命だと?
キリストや釈迦や孔子が誕生した必然性は、ここにある。それに、世の中、平和だったら
そもそも「五福」なんて言葉自体を必要とさえしなかったにちがいない。病気じゃない人は薬なんて必要としないし・・・。滔々と流れる黄河や長江、ナイルやガンジスの水の一滴一滴が抱いた希望だ。「五福」という希望を支えに生きてきた多くの人々の気の遠くなるような長い時間がある。その長い時間の中で、より立場の弱い者たちの中にあってある者は屠(ほふ)られ、ある者は売られてしまった。言うまでもなく、その売られた者たちの中に妓女たちの姿を見出すのは容易かったにちがいありません。
【南班と北班、それぞれの妓女たち】
「第288回 北京・紅燈幻影 《王皮胡同》その1」で「清吟小班」について触れた際、妓女たちには南方系と北方系がある、そんなことを書きました。そこで次にその辺りのことについて少し筆を進めてみたいと思います。
南班とは南方出身の妓女を置く妓楼、北班とは北方出身の妓女を抱える妓楼のことですが、南班と北班の妓女たちにはその出身地によってその性格などに違いがあったそうです。
たとえば、
「支那には西から東に流るる揚子江というのがあって南北を截然と区分けしている。南人と北人、已に言語風俗が異なっているのみか、性格的にも別人種だと言っていい位の違いがある。」
と書くのは『支那女人絵巻』(村田孜郎、昭和9年10月5日発行、文聖社)。
「それにしても『支那女人絵巻』という表題は凄いよね」
とついつい突っ込みたくなってしまう気持ちを抑えて、さらに読み続けると、筆者は続けて次のように書いています。
「南妓と北妓――南班と北班の区別がここにおいて生ずる。」
環境が人を育てると言うわけだ。孟子の母親が孟子の為に住む場所を何度も変えたという話しは理にかなっている。そして話しはいよいよ問題の旧北京の花街の代名詞・八大胡同へとすすみます。
「北平の前門外、八大胡同の廓街にはこの南班と北班が対立している。南班の妓は主として蘇州、杭州、揚州から来たもので北班の妓は北平、天津、楊柳青、張家口一帯のものが多い。そしてこの両者は性格的に習慣的に反目しつねに商売敵である。」
ならば、南妓と北妓の性格はどのように違うのか。
「北妓は概して温順しく、よく親しみ、よくなつかしむ(なつくことか。引用者)が、南妓は小利口で軽佻浮薄であることは免れない。」
蘇州や杭州や揚州など南方生まれ、南方育ちの女性たちがこの発言を聞いたらどう感じるだろうか。そんなことが頭をよぎりますが、この際は気にせず筆者の言葉に耳を傾けてみたい。
「畏友、故芥川龍之介氏はかつて南から北へ支那を一巡したが当時上海にいた筆者に天津から一書を寄せ、「南国の美人、麗はすなわち麗なれど、竟(つい)に北国美人の雅なるに如かず」といって来たことがある。まことにその通りである。」
さらに筆者はペンという解剖刀で容赦なく女性を分析。その言説の当否はさておいて、あくまで一つの参考として筆者が読者の前に開陳する南北両陣営の女性像をご覧ください。
「明るくて、活発で、応酬に巧なる点、南班は一寸見(ちょっとみ)によく感ずるが、排他心が深く、小生意気で、うわすべりであることを免れない。この点になると北妓の幽婉古雅、義理堅く自ら親しみを感じさするのと雲泥の差がある。換言すれば南妓は黄金(かね)次第で何んとでもなるが、北妓はそうはゆかない、柔順である半面に黄金や権勢のために媚は売らぬといったような心意気を持っている、義理を重んじ人情を解し、意地と張(はり)とを持っているところちょうど江戸の芸妓と上方の芸妓の差異がある。」
上の記事を読んで「ちょいと北班妓女たちの肩を持ちすぎなんじゃないの・・・?」、そう感じてしまうのは単にわたしの気のせいでしょうか。この文章が載っているのは前にも書いたように村田孜郎著『支那女人絵巻』ですが、出版されたのは昭和9年(1934)10月、満州事変の3年後、そして盧溝橋事件が発生、日本軍が北京を占領する3年前のことでした。話しは変わって眼を日本国内に向けてみると、昭和9年の秋の東北大凶作で娘の身売りが続出なんてことがありましたね。それはそうと『支那女人絵巻』って、目が点になっしまうような凄い表題。今と同じく昔から表題につられて、あるいは宣伝文句につられて買ってしまう人って、けっこういたんでしょう、きっと。まぁ、昔から羊頭狗肉って四文字もあるくらいですから。
時計の針を現在に戻し、こちらは王皮胡同37号院
横批・・・平安是福
上聯・・・吉兎上門鴻運来
下聯・・・財神送福吉祥至
平安是福。
胡同に流れる静謐のなかを歩きながら「平安是福」の四文字を見つけたことを、そして、今こうしてブログに書けていることをありがたく思います。
さらに西へ。
もう少し王皮胡同は続きます。